東神戸教会
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メッセージ   2011年のメッセージ



『 いつも火を灯して 』     レビ記24:1-4(1月2日)

私たちの教会にとって、2010年は教会増築という一大事業に取り組んだ年であった。
明けて2011年、与えられたスペースを用いて新たにどんな教会を目指していくのか、みんなで考えたい。

増築献金募金の趣意書に、教会の目指す3つの働きを記した。
①「ひろば」=老若男女、みんなが集まり出会う広場としての働き。
②「すきま」=社会での肩書きを下ろして、ホッとひと息つけるような隙間の働き。
③「かがみ」=自分を見つめ生き方を整える、鏡としての働き。

このパンフを見て友人の牧師(大阪在住)がコメントをくれた。
「さすが神戸、オシャレなスローガンやな。
僕らは大阪やさかい『温泉みたいな教会』、これで行くわ」。
みんなが暖まって、さっぱりして帰れる教会。
「あ~生き返ったわ」と思える教会。
これもステキな教会の働きだと思う。

増築竣工記念の講演会では、二人の講師からコミュニティとしての提言をいただいた。
「宗教にとって最後に語るべき言葉は『おかえり』という言葉ではないかと思うんです」(釈徹宗)。
「私はハーバーライト(灯台)であり、センチネル(歩哨)でありたい」(内田樹)。
火を灯し行き先を示し、みんなが最後に戻ってこれる拠り所としての共同体。
教会がそんなコミュニティになれればと思う。

旧約聖書には、礼拝の場所である幕屋建設の記述の最後に、「常夜灯」を灯せという命令が記される。
これは単なる「夜間照明を完備せよ」という意味だけでなく、
幕屋(教会)の果たしうる役割を象徴的に示しているものだと思う。
活動的な昼間ではなく、日暮れ後の夜こそ人間にとって悩みの深まる時間である。
そんな人が道を求め、祈りたいと進み出るときに、それを受けとめることができるために、
「いつも火を灯していなさい」ということだ。

神戸・岡本の保久良神社に「灘の一つ火」という灯籠がある。
暗い海を舟で進む人への道しるべを、麓の氏子たちが代々灯し続けてきたという。
自分の仲間のためだけでない、見ず知らずの人たちのために火を灯し続けた人々。
それによっていのちを守られた人たちがいた。

私たちも火を灯す働きを大切に果たしたい。




『 命に替えても捨てられないもの 』   ヨハネによる福音書10:17-30(1月9日)

小学生の頃、約束を交わす時などに「命賭けるか?」「おう、賭ける!」というやりとりをよくしていた。
今思えば随分軽々しく「命を賭ける」などと口走っていたと冷や汗が出るが、
そのうちにそういう言葉は滅多に口にするものではないということを覚えていった。
「簡単に『命賭ける』と言うヤツを信用するな」というのが仲間の共通理解となった。

「命を賭ける」。何か物事にひたむきに関わるときなどによく用いられる言葉である。
しかし命を賭けてでも実行しなければならにものが、果たしてどれほどあるだろうか。

ガリレオは、地動説の自説が異端審問に問われ有罪判決を受けると、あっさりそれを撤回した。
一方、同じ時代の日本では、多くの切支丹たちが踏み絵を踏むのを拒み、殉教の死を遂げていった。
ここで「切支丹は立派で、ガリレオはだらしない」という安直な結論を語りたいのではない。
実際私たちは、自分の命に執着しそれを捨てきれないという思いと、
「時には本当に大切なものは命を賭けてでも守りたい」という願いの間で、
うろたえ、ためらい、葛藤する、それが生身の人間ではないかと思うのだ。

大河ドラマ「龍馬伝」の中で、お元という切支丹の芸者が、昼間は平気な顔で踏み絵を踏みながら、
夜になると涙を流して「マリア様、お許し下さい」と祈るシーンがあった。
一方、ナチスに抵抗した学生たちを描いた映画「白バラの祈り」の中では、
裁判において決然とナチスを批判し、協力を拒んだ女子学生が、
処刑前の独房では涙を流し恐怖に震えて祈る姿が描かれていた。
どちらも共感を覚えるシーンであった。

イエスは「わたしは命を再び受けるために、捨てる。
だれもわたしから命を奪い取ることはできない」と語られる。
別の所では「わたしは彼らに永遠の命を与える」とも語られる。
前半の命は「プシュケー」、即ち肉体の命であり、後半の「ゾーエー」は霊の命、永遠の命のことである。
イエスにとって大切なのは「ゾーエー」の方であり、
それを守るためには「プシュケー」の命を「捨てる」と言われている...そのように受けとめられる。
しかしそれは、「プシュケーの命はどうでも良いものだ」ということを意味するのではない。
イエスがもう命を賭けてでも一つ守ろうとされたもの、それは「互いに愛し合う」人と人の交わりであった。
イエスが律法学者やファリサイ派となぜ対立することになったのかと言えば、
彼らが生み出していた争い、差別、不条理の現実、
すなわち「互いに愛し合う」ということから遠く離れた人間のあり方であって、
それはプシュケーの次元の事柄だったのである。

私たちはイエスから問われている。
「あなたは命を賭けてでも守るべきものを持っているか?」と。
そう問われて、私たちはハタと困ってしまう。胸を張って「あります!」と答えられるだろうか。
それほどに私たちは弱く、また自分の命(人生)への執着を捨てきれない存在である。
そして神さまは、そんな私たちの姿をよくご存知なのだと思う。

それでもなお、私たちはその問いを脇へ置き、それを忘れ去ってはならないと思う。
なぜなら、自分の人生において、「命を賭けてでも守りたい」と願うもの、
そういうものをひとつも持たない、持とうとしない人生とは、
大変空しい人生なのではないかと思うからである。




『涙が微笑みに変わるとき』  ルカによる福音書6:20-23(1月16日)

わたしたち人間は、涙を流し、泣く。人はなぜ泣くのだろう?
人間にとって涙の効用は、目の中に入ったゴミや異物を、外に洗い流すためだけではない。
悲しい時、悔しい時にも泣くし、うれしい時、達成感や充実感を感じた時にも涙を流す。
何かによって心を揺さぶられると、自分自身の中で処理しきれない感情を抱く。
それを身体と心の中から出すために涙を流すのではないだろうか。

16年前、この神戸の街を襲ったあの未曾有の出来事の中で、
何人の人が涙を流し、どれだけの抱えきれない感情を、洗い流していったことだろう。

私たち人間は、笑う。人はなぜ、笑うのだろう?
笑う表情は威嚇から来ているとも、おびえる表情から来ているとも言われる。
もともとは口から毒を吐く表情から来ているという説もある。
おかしなことがあって笑うだけでなく、あきらめの笑い、軽蔑の笑い(嘲笑)、威圧する笑いもある。
時には、悲しみの時にさえ笑うこともある。
人が笑うときもまた、心の中に抱えきれない感情があるとき、
それを外に吐き出すために笑うのかも知れない。

しかしそんな笑いの中にたったひとつ、「○○があるから笑う」という笑いではなく、
笑うことによって新しい世界を拓く笑いがある。
それは「ほほえみ」である。

「今泣いている人たちは幸いである。あなたがたは笑うようになる」。
イエスの言葉である。
私たちがおよそ、幸いだと思えないような事柄を、イエスは「幸いだ」と言われる。
イエスには確信があったのだろう。
「神さまは、この世の最も弱い人、貧しい人にこそ目を留め、これを救おうとされる方である」と。
「あなたの涙が、微笑みに変わる日が来る。きっと来る!」
それがイエス・キリストの語られた福音である。

私たちの人生にも、泣きたくなるような辛いときがしばしば訪れる。
涙をこらえることも時には必要だろう。でも我慢しすぎることはよくない。
時には泣きたいときは思いっきり泣けばいい。心が痛いときは「痛い!」と叫び、泣けばいい。
そうしてたくさんの涙を流し、たくさん心を動かした人ほど、
また別の時には、大きく心を動かして笑うことができるのではないだろうか。


    Smile (Charlie Chaplin)

  Smile though your heart it is aching, Smile even though it's breaking
  微笑んで、たとえ君の心が痛んでも  微笑んで、たとえ破れても

  When there are clouds in the sky, You'll get by
   空に雲が立ち込めても 君ならきっとやれる

  If you smile through your fear and sorrow, Smile and may be tomorrow
  恐れる事も悲しい事も乗り越え、微笑むなら たぶん明日には

  You'll see the sun come shining through for you
  君のために輝いてくれる太陽を見るだろう

      (震災を憶え、いのちを祝う礼拝)


『 まだ遅くはない 』    ヨハネによる福音書11:1-16(1月23日)

ベタニアに住むラザロが、重い病気であるという知らせがイエスのもとに届いた。
イエスとラザロの家族は親しい間柄であった。

イエスが滞在していたのは、ヨルダン川対岸のもうひとつのベタニアという名前の村である。
その距離、約30㎞。一日歩けば何とかたどり着ける距離である。
ところが知らせを受けたイエスは、すぐにラザロの元には向かわずに、
なお二日間対岸のベタニアに留まったという。どうしてすぐに出かけなかったのか。

イエスは語る。
「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである」(4節)。
「ラザロは死んだ。私がその場にいなかったのはあなたがたにとってよかった。
あなたがたが信じるようになるためである」(14-15節)。
まるでラザロが死ぬのを待っていたかのようにも受けとめられる言葉である。

イエスはこれまでも様々な癒しの奇跡(「しるし」)を行なってきた。
死者を蘇らせればさらにイエスの力を誇示するものとなり、多くの人々がイエスを信じ、
そうして神の栄光が現わされるのだ... そんな風にも受けとめられる言葉の数々である。
しかし、もしそれが真実なら、そんなイエスには少しがっかりする。
それではまるで、いんちき手品師のようなシナリオではないか。

でも、本当はそうではなかったと思う。
直前の箇所では、エルサレムでイエスがユダヤ人たちと対立し、
危うく殺されそうになったことが記されている。
イエスが対岸のベタニアにおられたのは、危機を回避するためであった(10章39節)。

イエスは悩んでおられたのではないだろうか。
再びエルサレムの近くのベタニアに向かうことは、また同じ危険に身を置くこととなる。
ラザロの元には一刻も早く駆けつけたい、しかし危険に会うことはは避けたい...
そんな思いの中で身をよじりながら悩むイエスの姿を想像する。

「そんな弱々しい、頼りないイエスはイヤだ!」...そう思うだろうか。
しかしわたしはそんなイエスにこそ、近しいものを感じる。
そこには、わたしたちと同じ生身の身体と心を抱くイエスの姿が浮かび上がるからだ。

けれども、その悩みを振り切って、最終的にイエスはラザロの元に向かった。
到着してみると、ラザロはもう死んでしまっていた。
「もう遅かった」...そういうことなのだろうか?
いやそうではない。悩みつつ下した決断を、神は決して軽んじられない。
そんなことを、この後の出来事から私たちは知らされるのである。

私たちにも悩みは多い。決断しなければならない時に、機を失ない躊躇してしまうこともある。
しかし「もう遅い」とあきらめるのではなく、「まだ遅くはない」と決断できる者でありたい。




『 なにをささげるか 』  創世記22:1-14(1月30日)  小野 輝 神学生

息子イサクの奉献は、信仰の父・アブラハムの信仰を表す代表的な物語である。
神から、イサクを捧げよとの命をうけ、アブラハムはモリヤの地で息子イサクを屠ろうとする。
その時に神はアブラハムを止め、代わりに雄羊が与えられる、という物語である。
息子をさえ献げようとしたアブラハムの信仰深さ、献身的態度をたたえる物語とされてきた。

しかし、改めて考えてみて、これは大変理解の難しい物語であると思う。
アブラハムにとって、年老いてから生れたイサクがどれほど大切だったかは想像に難くない。
最も大切なものを献げる、これほどの苦しさを受け入れることが、私たちにも求められているのか。
この神の命令をそのまま、恵みとして「素直に」受けることは難しい。

イサクから屠るいけにえについて尋ねられた時、「きっと神が備えてくださる」と言っている。
この言葉の意味の中に今日のメッセージの大切な何かが隠されているように思う。
「また戻ってくる、神が備えてくださる」、それは一見希望の言葉である。
しかし「きっと備えてくださる」という言葉は、現状では希望がないと語っているようにも思う。
アブラハムはこの時正に悲しみのただ中にあったのではないだろうか。

その中で、しかしアブラハムは他の道を探らずに、ただ自分の前にあることをした。
むしろ、何もできなかったという方が近いのかも知れない。
その時主の使いが「その子に手を下すな、何もしてはならない」と現れる。
「あなたが神を畏れる者であることが今、わかったから」と主の使いは語る。

アブラハムは極めて困難な状況の中で、それに向き合おうとした。
何か状況の変化を起こすようなことは出来ないが、ひたすらに山へ歩みを進めたのである。
それに対して神が、「もうよい、十分だ」と言ってくれているのではないかと思う。
神は試練を与えはするが、人が歩みを進めるのを止めるようにはなさらない。
そういうことだと思う。

私たちにも自分の状況が全く理不尽に思え、先が見えないことがしばしば訪れる。
「ここに神がいるのか」、それすら疑いたくなる状況もあるかも知れない。
しかしそれでも、そこにあることをただひたすらにする、しようとする。
そこに神がいる。これが今日の聖書の物語が示すメッセージではないだろうか。

昨年、父親の最期を見届けるという体験の中で、何もできない自分を感じた。
何をささげるか、何がささげられるか、結局のところわからなかった。
しかし、希望が全くないわけでもなかった。
父を見舞いに帰った実家で、ある晩歯を磨くために覗き込んだ鏡の中で自分を見た。
その時に何とかなるかもしれない、と思った。
死にゆく父を見たが、同時にその父によって与えられたいのちを、今、自分は生きている。
「私はまだ死んでいない」ということを確認した。
そして「ただ生きる。この地で眠り、目を覚ます」その大切さを感じた。
「呼吸を止めてなるものか」そう思った。

「なにをささげるか」― そう問われて胸を張って答えられる人は多くはない。
しかし、何かできるわけではないが、自分の前にある道を進み、一生懸命生きる。
それこそがアブラハムを試された神が望む生き方、すなわち献身なのではないだろうか。




『 この大地は神さまのもの 』      レビ記25:1-12(2月6日)

私たち人間は「土地を所有する」という概念を持って生きている。
他の動物のような「縄張り争い」の域を超えて、土地所有の「権利」を主張する。
隣地との境界線から領土問題に至るまで、人間とは土地の所有に異様な執着を持つ生き物である。

人類の歴史の中には、土地の所有に執着しないグループも存在した。
(例:ネイティブアメリカン、アボリジニ、アイヌ)
しかし彼らは例外なく、土地所有に執着する人々によって土地を奪われ憂き目を見せられている。
現在、ニューヨーク市のあるマンハッタン島は、オランダ人の商人によって、
当時その土地に住んでいた先住民から「ビー玉2個」で買い取られたという。
「土地所有の概念」を持たない民族が、それを持つ民族によって搾取されたことを示す逸話である。

現代に及んで、人間が所有権を主張するのは土地だけではない。
海(領海権)、空(制空権)、最近では空気(CO2の排出量)ですら所有の対象となっている。
人間は大地に関わるあらゆるものに対して所有権を主張し、値段を付け、売り買いをし、
境界線をめぐって争い、それを犯す者には攻撃を加える。
そうすることが「当然だ」という前提で判断し、行動する。
しかしそれは本当に「当然のこと」なのだろうか?
土地の値段というものが、「どこにある土地かか」ということによって何百倍も何千倍も違う。
それはよくよく考えてみれば、「おかしなこと」なのではないか。

旧約聖書の世界にも土地所有の概念があり、所有地の売り買いがなされていたことが記されている。
しかしそれは概念のくくりで言えば「小概念」の事柄であり、
もうひとつ大きな概念のくくり(メタ概念)においては別の考えがあった。
それは「そもそも土地は、神さまのものである」という考え方である。

「嗣業(しぎょう)」という言葉が旧約聖書ではたびたび登場する。
かつての文語訳聖書では「ゆずり」という読み仮名がふられていた。
これはカナンに移り住んだイスラエルの民に、「神がゆずり渡された土地」という意味である。
「とりあえず、区画された土地はそれぞれの個人・家族・部族の所有とする。
 しかし、そもそも土地は人間のものではなく、神さまのものである」という考え方だ。

この概念のもと、イスラエルでは驚くべき土地活用・資産運用のシステムがあった。
「ヨベルの年」。
これは50年に一度、すべての土地に関する貸し借りを「チャラ」にする、というものである。
50年とは、人間の暮らしで言えば一世代にあたる。
「ヨベルの年」とは、一世代において生じた格差・不均衡を、次の世代には持ち越さない、
つまり、すべての人にやり直しのチャンスを定期的に与えるという、合理的なシステムだと思う。
「人間中心」ではなく、「神さま中心」の世界観だからこそ実現できたシステムだと言える。

私たちの社会は、私有財産制度の時代であり、自己決定・自己責任が原則となっている。
そのような時代で「ヨベルの年」を実現するのは難しいように思える。
しかし、今後の社会を良きものとしようと真剣に考えるならば、不均衡の是正は不可避の課題である。
その際大切なことは「私のものは私のもの。自分のために使って何が悪い!」という
自己中心的な心理をどこかで克服することではないだろうか。

ネイティブアメリカンの人たちは土地に対してこんな考え方を持っていたという。
「この大地は七代後の子孫たちから借り受けているものだ。
 だからできるだけ大切に用いて行かねばならない」。
このような知恵にこそ現代人は学ばなければならないのではないか。

「この大地は神さまのもの」そんな信仰を大切に育てたい。




『 涙の理由(わけ) 』  ヨハネによる福音書11:17-37(2月13日)

イエスがベタニヤという村で涙を流された箇所である。
新約聖書の中でイエスが涙を流されたのは他にあと一箇所だけ、
罪に染まったエルサレムを嘆いてのことだった(ルカ19:42)。
そこでの涙の理由は明確だ。
ではこのヨハネ福音書におけるイエスの涙の理由は何だったのか。

さまざまな解釈がある。

①ラザロの死を嘆き悲しむマルタ・マリアの姉妹。その悲しみに同情され、
ラザロの死を悼んで涙を流された、という解釈。
誰もが自然に思い浮かべる解釈であり、聖書にも記されている(11:36)。

②いや、イエスはそんな人情で涙は流されない。
イエスが嘆かれたのは、マリアやユダヤ人たちの不信仰に対してだったのだ、という解釈。
何とも驚くべき解釈だが、その理屈はこうだ。

 「イエスはラザロの復活を予言しておられた。
  信仰を持てば死をも克服することができると教えておられた。
  それにも関わらず、マリアはラザロの死を嘆き、周りのユダヤ人も同様に泣いている。
  その不信仰を嘆き悲しんで涙を流されたのだ...。」

このようなイエスは、私にはとても「偉そう」な存在に感じられ、
自分からは「ずーっと遠いところ」に行ってしまったように思えてしまう。

もうひとつの可能性について考えられないか。
③イエスはラザロの最期に立ち会えなかった。遅れてしまった。
その「遅れ」を生じさせてしまった自分自身を責めて涙を流す...。
言わば「自責の涙」なのではないか。

イエスはラザロの病気の知らせを受けてもすぐに駆けつけず、
さらに2日間ほど滞在先に止まっていた。何故なのかは分からない。
しかしそれがベタニヤのすぐ近く、
エルサレムの人々(イエスの命を狙う人々)の存在を恐れてのことであったのだとしたら...。
自分の不甲斐なさに嘆き、悔しさの涙が溢れたのではないだろうか。

人は自分の弱さや不甲斐なさ、自分の罪を知るが故に泣くべきなのではないかと思う。
そのような涙を、神さまは決して見過ごさず、必ず顧みて下さると信じよう。




『 「社会的な死」と「復活」 』  ヨハネによる福音書11:38-44(2月20日)

一旦死んだ人が蘇る、という出来事が、聖書にはしばしば登場する。
(ヤイロの娘、タビタ、居眠りして二階から落ちた若者、等々)
イエスの復活だけが唯一の例ではない。
聖書の時代においてもそれは「驚くべきこと」ではあったが、
現代ほど科学の発達しない時代では「あり得ないこと」ではなかった。

しかし現代において、完全に生命活動を終えた人が再び蘇ったという出来事は、
それをそのまま客観的な事実として受け入れることは難しい。
今日の箇所はラザロの復活という出来事である。
これを私たちはどう受けとめればよいだろうか。

イエスが「ラザロ、出てきなさい」と呼びかけると、
ラザロは手足を布で巻かれ顔は覆いで包まれた状態で出てきたと記されている。
そして、この出来事の直後、ラザロの妹マリアはイエスの頭に高価な香油を注いだ。
いわゆる「ナルドの香油」の出来事である。

同じ出来事が、マルコでは「ベタニアの重い皮膚病の人シモンの家」での出来事となっている。
「重い皮膚病」という言葉は以前は「らい病」と訳されていた。現代で言うハンセン病のことである。
ラザロとこの重い皮膚病の人とは、同一人物だったのではないだろうか。

重い皮膚病(ハンセン病)を患った人々については、レビ記13章にその対処法が記されている。
「その人は汚れている。宿営の外に住まわねばならない。
 誰かが間違って近づいてきたら『わたしは汚れた者です』と叫ばねばならない」。
病気に対する認識が現代とは違うとは言え、何という仕打ちだろう。
それは彼らに「社会的な死」を宣告するに等しいものである。

イエスはそのような人々のところをしばしば訪ね、共に食事をされた。
社会から排除され「死んだもの」「いないもの」とされた人々のことを、
「いや、そうじゃない!この人は、いま、ここに、確かに生きている!」そう受けとめ向き合われた。
その振る舞いによって、多くの人々が再びいのちを回復したのではないか。
すなわち「社会的な死」からの「復活」である。

私たちの社会にもハンセン病に限らず、
人間を「社会的な死」へと追いやる事柄がまだまだ存在している。
そんな現実を乗りこえて、そのつらく淋しい心に寄り添い、
架け橋をかけるような行動を、大切に担える者でありたい。




『 一本の鉛筆があれば 』<被爆ピアノの伴奏による礼拝>  イザヤ書2:1-5(2月27日)

「すべての武器を、楽器に」。沖縄のミュージシャン・喜納昌吉の言葉である。
武器と楽器。同じ「うつわ」という漢字を用いるが、その働きは正反対だ。
武器は人と人を敵対させ、打ち倒し、傷つけ、命を奪う。
楽器は人と人を結び合わせ、心を開き、命を育む。
「すべての武器を楽器に」とは「力によらない平和を築こう」という呼びかけの言葉である。
被爆ピアノコンサートの活動も、そのような平和を目指すひとつの働きだと思う。

「剣を鋤に打ちかえ、槍を鎌に打ちかえよ」。
イザヤのこの預言の言葉も、そのような道を指向する。
アッシリアという強大な軍事大国に制圧された南王国ユダでは、
支配者に刃向かわない限り、とりあえずの安全は保たれていた。
「力による平和」である。

そんな中でイザヤは、戦いの武器、すなわち人を殺すうつわを、
農具すなわち人の命を支えるうつわに変えよと語る。
「力によらない平和」を呼びかける言葉である。

「何をのん気なことを言ってるんだ。
実際には国と国は歴史上、ずーっと争ってきたじゃないか。
力を持たなければ平和など保てないんだよ…」
そんな声が聞こえてくる。確かにそれは人間のひとつの現実かも知れない。

しかしそれは悲しい現実ではないか。
なぜならその「力による平和」は、人を信じるのではなく疑うところから出発している。
人を愛するのではなく、人を憎むという思いが原点にある。
そんな中で、人間がほんとうに幸せになれるだろうか。

人と人とが互いに武器を突きつけ合い、殺されたくないから殺さない、
そんな見せかけの平和ではなく、
人と人が武器を置き、楽器を手にして共に歌い、命を祝う、
そんなあたたかい平和をこそ目指したい。

一本の鉛筆、一枚のザラ紙があれば、そこに何を書くだろうか。
対立する相手への呪い、敵が滅びることを願う言葉を書くだろうか。
それとも戦いの悲しみ、未来を担う命への希望を書くだろうか。

  一本の鉛筆があれば
 戦争はいやだと私は書く

  一本の鉛筆があれば
 8月6日の朝と書く
 『人間の命』と私は書く

   (美空ひばり『一本の鉛筆』)




『 成熟した者の神 』    レビ記26:40-45(3月6日)

「小さい頃は神さまがいて、不思議に夢をかなえてくれた...」。
昔流行った歌の歌詞である。
幼い頃、天に願いを込めて祈った体験を、誰もが持っているだろう。
「信仰」と呼べるほどではない。
しかしその道にどこかでつながっている、そんな素朴な宗教心である。

そのような素朴な宗教心をベースにして、ひとつの信心のあり方が芽生えていく。
「善を行なった者には祝福を、悪を行なった者には罰を与える神さま」。
いわゆる「勧善懲悪」の、アメとムチの神さまである。
分かりやすいと言えば分かりやすい。しかし私たちはもはや、そのような説明には耐えられない。
なぜなら、この世の現実には良きことを目指す人が災いを受け、
悪にのさばる人が栄えるケースが溢れかえっているからだ。

ナチスドイツのホロコーストを体験した後、
ユダヤ人の多くは「神に見捨てられた」という思いを引きずっていた。
「なぜ神は天から介入して我々を救わなかったのか」。若い人の中には信仰を捨てる者もいた。
そんな中でレヴィナスというユダヤ人哲学者が現れて、不思議な信仰論を唱えた。

「人間が人間に対して行なった罪の贖いを、神に求めてはならない。
 神がその名にふさわしい真の威厳を備えた方ならば、
 必ずや『神に頼ることなく正義を実現できる存在』として人間を創られたはずだ。
 我が身の不幸ゆえに神を信じることをやめる者は宗教的には幼児に過ぎない。
 成人は神の支援抜きで地上に公正を作り上げるのだ」。

この信仰理解は、ナチスに抵抗して処刑された神学者・ボンヘッファーの
「神の前で、神と共に、神なしに生きる」という言葉とも重なり合う。

レビ記26章に記された神の姿は、前半だけ読めばほとんど「アメとムチの神さま」である。
しかし後半には「たとえ罰を受けたとしても、
それでもわたしはあなたを捨てない」という宣言がある。
神の不在を思わせるような災いの中にあっても、
「それでもあなたを捨てない」という言葉を信じて生きる。それが成熟した信仰者の姿である。

冒頭のユーミンの流行歌は、その後次のように続く。

「カーテンを開いて、静かな木洩れ日のやさしさに包まれたなら、
 目に映るすべてのものはメッセージ」

成熟した信仰者は、木洩れ日のやさしさだけでなく、
冬の雨の冷たさや、夏の日照りの息苦しさに包まれても、
「すべてのものをメッセージ」として受けとめ、歩むのではないだろうか。




『 スケープゴート(犠牲の小羊) 』   ヨハネによる福音書10:17-30(3月13日)

「スケープ・ゴート」とは、ひとりの人間をやり玉にあげて、
全体が溜飲を下げたり、利益を得ようとしたりする、
そんなあり方を指して使われる言葉である。

元々は、遊牧民族が狼などの襲撃を避けるために、
一匹のヤギ(大抵は「価値の低い」オスの老ヤギ)を犠牲にし、
狼が群がるスキに全体を逃がす方法に由来する言葉だそうだ。
この風習がユダヤ教の儀式の中に受け継がれ、
「罪を贖う犠牲の供え物」という儀式が生まれた。

キリスト教ではその儀式を、新しい解釈の中で展開をした。
ユダヤ教の儀式ではその度ごとにいけにえが捧げられるのに際し、
キリスト教ではイエス・キリストがその犠牲の供え物となられた、
しかもたった一度犠牲となることによって、永遠に罪の許しを与えて下さった...
そういう解釈である。
こうして「キリストの十字架による贖罪」の教義が生まれた。

ヨハネ福音書は、最初からこの教義に基づいて記された福音書である。
今日の箇所は、ラザロの復活の出来事の直後の出来事を伝えている。
この奇跡によって多くの人々がイエスを信じるようになった。
しかし「そのことによって暴動が起こり、ローマによってそれが鎮圧されることで
ユダヤが滅ぼされてしまうのではないか...」

そのような心配をする人々に向かって、大祭司カイアファが言う。
「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びない方が好都合だ」。
ここにスケープ・ゴートの発想がある。
イエスひとりに罪を着せて、民の安泰を図ろうという考えである。

しかしヨハネはこの発言を「カイアファの考えではなく神の預言である」と記している。
つまりそれは「罪の贖罪の出来事であり、神のみこころにかなうことだ」という、
キリスト教の教義に基づく解釈である。
わたしたちはそのような解釈に納得し、感謝するだけでいいのだろうか。

他者の痛みの上に自分の安泰が保たれている...
そのことに気付いたならば、そのことを感謝するだけでなく、
2度とそのような犠牲を生み出さずに済むような生き方を目指さねばならないのではないか




『 Never Alone ~ ひとりではない 』  マタイによる福音書28:18-20(3月20日)

今回の第3礼拝のテーマを選んだのは、1月の中旬のことであった。
神戸マス・クワイアのメンバーと同じタイトルの歌をうたう予定をしていた。
その後、東日本大震災が起こった。
このような状況、このような心境でこの歌をうたうことになろうとは、
予想だにできなかった。

「あなたはひとりではない。共に歩んで下さるイエス・キリストがおられる。」
それがこの“Never alone”という歌の、歌詞の内容だ。

「あしあと」という有名な詩では「わたし」が人生の最も辛いときに、
「わたし」を背負って歩んでくれるイエスの存在が語られる。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。
今日の聖書の箇所に記された、イエスの言葉である。

いずれも「イエスが共にいてくれると信じることで困難や苦難を乗り越えてゆける」、
そんな信仰を指し示している。

しかし私は、自分が被災しておらず遠く被災地を見つめている今この状況の中で、
「イエスが共にいてくれる」と語ることに一体何の意味があるのだろうか、
そんなことを考えてしまう。
その言葉がウソだとか、まやかしだと言うつもりはない。
多くの人に力と希望を与えてきた信仰であることは確かだ。

しかしこの想像を絶する被災の中にある人々に向かって私たちにできることは、
「あなたはひとりではない」と言いつつ、後はイエスにゲタを預けてしまうのではなく、
そのように語るその人が、自らの思いと行動を通して
その語られた言葉にリアリティを注いでいくことではないだろうか。

「人生の苦しみの時に、あしあとはひと組だけ。
 それはイエスさまがあなたを背負って歩いて下さったあしあとなのだよ」
そんな風に語ることによって「イエスにすべておまかせ」するのではなく、
そこに駆け寄って、もうひと組のあしあとを刻もうとすることではないだろうか。

「夜の闇を歩み通すときに、助けになるのは、橋でも翼でもなく、友の足音だ。」
                          (ワルター・ベンヤミン)
絶望の暗闇を歩まざるを得ない人々に向かって、言葉だけで慰めを語るのではなく、
自分に出来る行動を続けることで、闇の中に響く共に歩む足音を届けてゆく...。
そうすることによって、私たちは「Never Alone ~ ひとりではない」という言葉に、
ほんとうのいのちを吹き込むことができるのではないだろうか。
そしてそのことによって、私たちと共に歩んで下さるイエス・キリストを、
真の意味で指し示すことができるのではないだろうか。

 ♪ Never Alone

  ひとりではない 心配することはない なぜなら
  わたしは決してひとりではないのだから

  彼がすべての道を 共に歩いてくださる
  彼は私の歩みを 日々導いてくださる

  もう二度と 不安になることはない

  彼がすべての道を 共に歩いてくださる
  彼は私の歩みを 日々導いてくださる

  決して 決して もうこれ以上 不安になることはない
  神は言われた「わたしはあなたを決して見捨てない」と
  私が様々な悩みに不安を感じても
  神が御言葉をもって すべてを解決してくださる

               (第3礼拝 ゴスペル礼拝)




『 こころの熱伝導 』    ルカによる福音書24:28-35(3月27日)

「今回の全体修養会のテーマは「みんなで伝導を考えよう」。
誤植ではない。話し合いの過程での書き間違いから生まれた「怪我の功名」である。

日本の教会では昔から、“Mission”に対する訳語として「伝道」という言葉を用いてきた。
明治時代、それまでの生き方を大変革させてクリスチャンになった人々にとって、
「道を伝える」という言葉には悲壮感すら漂うリアリティがあったことだろう。
しかし150年が経過しキリスト教の文化や価値観がかなりの分野で定着した今、
「伝道」という言葉にはややもすると大上段に構え過ぎた雰囲気がある。

キリストを信じる道・キリスト教という宗教体系を何としてでも伝えねば!とリキむのではなく、
イエス・キリストの物語によって与えられる「あたたかさ」、
その温もりを「伝導」していくアプローチがあってもいいのではないだろうか。

教区総会で「このままでは教会は衰退する。もっと伝道を!」という議論がなされたことがあった。
教勢の減少や教会員の高齢化に対して心配があるのは事実だろう。
しかし根本的な部分で違和感を覚えた。

はたして伝道とは「危機感」によってなされるものなのだろうか?
あるいは、教会という組織の維持のためになされるものなのだろうか?
そうではなく「感動・喜び」によってなされるものなのではないか。
私たちの目指す伝道、それはイエス・キリストに出会い、生きる「あたたかさ」、
その「こころの熱伝導」ではないかと思うのだ。

エマオに向かう弟子たちは、復活のイエスと共に歩んだ道のりをふり返り、
「あのとき我々の心が燃えていたではないか」と語り合った。
その熱い思いが、きっとその後の彼らの伝道の「エンジン」になったのだろう。

教義の解説・理解、伝道の方策、そういった部分も教会には必要だろう。
しかしそれらはあくまで「ハンドル」に過ぎない。
「エンジン」となるべき「こころの熱い思い」をこそ、大切に受けついでいきたい。

                   (教会全体修養会 発題メッセージ)




『「正論」を超えるもの 』  ヨハネによる福音書12:1-8(4月3日)

世の中には様々な「正論」が存在する。
「正論」を語り、その言葉が目指すところを求めて生きることは、我々の大切な課題である。
しかし「正論しか語ることが許されない世界」というのは、
実は人間にとってとても息苦しい世界なのではないか。

東日本大震災が起こって以来、TVのCMでは延々と「正論」が語られた。
ひとつひとつが間違っているワケではない。
しかしあまりの大量の「正論」オンパレードに、
正直、分かったよ、もう!」という気分になってしまった。
そんな私は、狭量な人間だろうか?

イエス・キリストのもとにやってきて高価なナルドの香油を注いだ女性の話は、
すべての福音書に記された有名なエピソードである。
ヨハネ福音書では、その女性はマリアであったと名前が挙げられる。
イエスによって死からよみがえらされた、あのラザロの姉妹である。
家族を救ってもらったことへの感謝の思いが、
この一見突拍子もないように思える行為を生み出したのかも知れない。

するとイエスの弟子のひとりが言った。
「何ともったいないことを!それを売れば貧しい人に施せるのに」。
こちらも「ユダ」と名指しであるが、これは「正論」である。
しかしその「正論」がこの女性を追い詰めている。
息が詰まりそうになる展開である。

イエスは「この人は私の葬りの準備をしてくれたのだ」とかばう。
「貧しい人はいつもあなたがたと共にいる。しかし私には今の時しかない」と。
十字架の苦難を前にしてせっぱ詰まったイエスの思いに、
この女性はある意味もっともふさわしく応えたのではないか。

これは彼女の「愛の行為」である。
だからこれは、美しい物語として語り継がれていくのである。
どんな「正論」も、それが愛を欠いてしまう時、虚しいものとなる。




『 自分のためだけに生きるのでなく 』   ヨハネによる福音書12:20-26(4月10日)

一粒の麦のたとえは、イエスの教えの中でも良く知られたものの一つである。
麦の種が蒔かれ、発芽し成長すると、もとの麦の種は姿が見えなくなる。
昔の人はそれを「麦の種が死んで、多くの実りをもたらした」と考えたのだろう。
そして、そのイメージを、自分の命を捨てて人々に救いをもたらすイエスの姿に重ね合わせた。

少し後には「友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない」という言葉もある(15:13)。
イエスの示された究極の愛、それは人を救うために自分の命を投げ出す生き様である。
イエスは十字架上で死ぬことを通して、その究極の愛を示されたのだ。

「互いに愛し合うことが大切である。友のために命を捨てるほど大きな愛はない」。
私たちはこの教えが大切なものであることを知っている。
そして、この言葉通りに生きた人がいることを知れば「素晴らしい!」と感嘆する。
(『塩狩峠』、リーパー宣教師、大久保駅の韓国人留学生など)
しかし私たち自身がその教え通りに生きるのは難しい。
私たちの心の中には、自己利益を何よりも優先するエゴイズムが宿っているからである。

けれども、そこで開き直って「あれはイエスだから(神の子だから)できたことさ。
私たちにはとても無理、無理。」そんな結論を簡単に下すならば、
そのイエスを信じる信仰とは一体何なのだろう?

こんな風に考えてみてはどうだろうか。
このイエスの教えに100%従うことはできないかも知れない。
しかし、この言葉に突き動かされて、
自分の時間、自分のからだ、自分のお金、自分のいのちを、
ただ自分のためだけに用いようとするのではなく、
それを友のため、助けを必要としている人のためにも用いようとする。
そうすることでイエスに従う道を進むことができるのではないか、と。

仙台の大震災のボランティアに行って感じたことがある。
「隣人のために何かお役に立ちたい」そう願って集まっている多くの若者たち。
彼らは「いま、この時」を、確かに、しっかり生きているということだ。
そんな「今を生きる人たち」が、そこ、ここに新しく現れることを通して、
かの地にも新しい世界が築かれていくのではないか。

そこに希望がある。そう信じたい。




『 微力だけど、無力じゃない 』   ヨハネによる福音書12:12-15(4月17日)

棕櫚の主日、イエス・キリストがエルサレムに入城する姿を、
群衆が棕櫚の葉を振って迎えた日である。
棕櫚は王の位を象徴する植物であり、人々のイエスへの期待も「王の働き」、
即ち偉大なる力によってユダヤの民衆を解放するというものであった。

しかしイエスはその期待の中を、力強い軍馬ではなく、
力の弱い、しかも子どものろばに乗って進まれた。
新約聖書はその姿を「旧約の預言の成就」ととらえる。
確かにゼカリア書には「メシアがろばの子に乗ってやってくる」という預言がある。
しかし旧約の多くのメシア預言は、強力な軍隊を従えた王のイメージでも語られている。
                           (『万軍の主』等々)。
いろいろある中で、イエスは敢えてゼカリアの姿を目指されたのだと思う。

マルコ福音書には「偉くなりたい者は仕える者になり、
すべての人の僕になりなさい」というイエスの言葉がある。
力をふるう権力者のようにではなく、力弱くとも仕える人となる。
そうすることによって、世界が外側からではなく内側から変えられてゆく...
それがイエスの目指した神の救いのイメージだと思う。
そしてそのような救いを象徴的に示すために、
イエスは小さな子ろばに乗ってエルサレムに向かわれた。

仙台でのボランティアに参加した際、
拠点の「エマオ」から作業の現場まで、往復2時間かけて自転車で毎日通っていた。
その分作業の時間も取られるし効率も悪い。
しかしそれを続けたのは理由があった。
それは地域の人々の生活の場に土足で踏み込まないための配慮だったという。

地震の直後、瓦礫と化した家々に窃盗に入る不届き者が横行し、
地域の人は次第に「よその人」に心を閉ざしていった時期があった。
そんな中で、教会関係者がボランティアを申し出、少しずつ信頼関係を培っていった。

車でたくさんの人員で「ドーン」と乗り付ければその方が効果的ではある。
しかしそういう形ではなく、力は小さくても心と心のつながる支援があるのではないか。
そんな方向を模索する中で、自転車による支援も定着していったそうだ。
地域の人はそんなボランティアを「自転車の人たち」と呼んでいた。
片道一時間の時間をかけてえっちらおっちらやってくる若者の姿を通して、
何か大切なものが伝わったのではないかと思う。

ある日のミーティングの中で、ひとりの人が祈られた言葉が忘れられない。

「神さま、私たちは自分が無力に近いことを知っています。
   でもそれでも何かしたいと思ってここに来ています。
   私たちの、無力に近い力を、どうぞ用いて下さい。」

心の奥深くから「アーメン」と唱えて、共に祈りを捧げた。

「私たちは微力である。でも無力ではない」。
エマオではそんな言葉が語り継がれていた。
「力ある一人」の働きではなく、「微力なみんな」の働きが集まること。
そのことが積み重ねられて行く先に、明日が開かれることを信じたい。




『 再び立ち上がるいのち 』     エゼキエル書37:11-14(4月24日)

この世界には「神はどこに?」と問いたくなるような現実がある。
災害、戦争、差別や虐殺、貧困に病気、そういった現実を前に、
私たちは「神よ、なぜ?」との思いを強くしてしまう。
それは不信仰なことだろうか?

イエスも「わが神、わが神、なぜ私を見捨てられるのか?」そう叫び息をひきとられた。
それは絶望の極みを迎える人の姿であった。
イエスのように隣人への愛と奉仕に生きた生涯。
それがあの惨たらしい最期を迎え、「それで終わり」だったとしたら、
いったい誰が愛と奉仕の人生など求めるだろうか。

厳しい現実を前に「神はどこに?」「神さまなぜ?」と問うても、
聖書から明らかな返事は聞こえてこない。
しかし聖書は、「それは終わりではない」と語る。
「神さまは終わらせない」、それが復活という出来事である。

私たちは今、千年に一度と言われる大災害を目の当たりにして不条理を感じているが、
聖書という書物はそのような不条理を延々と抱き続けた民・ユダヤ人によって記されたものだ。
歴史上のほとんどの時代を苦難と試練を背負わされて歩んだ民・イスラエル。
「神に選ばれた民であるはずなのに、なぜ?」と問う彼らが到達したのは、
「神は力で繁栄を勝ち取るためにイスラエルを選ばれたのではなく、
苦しみを背負うことで世界に救いをもたらすために選ばれたのだ」という自己理解であった。

ユダヤの民が体験した苦難の中でも、最も屈辱的なものの一つに「バビロン捕囚」がある。
国破れ、主だった人々が連れ去られ、いわば国家存亡の危機を迎えざるをえなかった人々。
そんな時代に活動した預言者エゼキエルは、ある日“枯れた骨の復活”という幻を見る。
旧約聖書の中では珍しい復活思想が描かれるが、
これは個人の復活ではなく民族の復活を意味するものである。
エゼキエルは、決して能天気ではない、どちらかというと危機意識の高い預言者である。
そんな彼の中にも、「終わりではない」という聖書のメッセージが確かに響いている。

聖書は、苦難に向かう人の苦しみを簡単に取り去ってくれる道を語らない。
しかし、どうしようもない苦難を前にして「もうダメだ、終わりだ」と沈み込む人に、
「いや終わりではない」「再び立ち上がるいのちがある」と語りかけてくれるのである。

「再び立ち上がるいのち」
それは、弱さの果てに倒れた民が、別の日に力を得て、周りを屈服させて繁栄する姿ではない。
倒れざるを得なかった弱さ、その弱さの中に働く不思議な力に導かれ、
弱さを絆として新しい世界を築く人の姿こそ、聖書の示す「再び立ち上がるいのち」なのだと思う。

東日本大震災、その甚大な被害を見るときに、かの地の復興はあり得るのだろうか?と
絶望的な思いを抱かざるを得ない気持ちになることがある。
しかし「それは終わりではない」「再び立ち上がるときがくる」そんな聖書のメッセージが、
いま、このとき、この状況の中を生きる人々にも与えられていることを信じたい。

「神はどこに?」そう叫ばざるを得ない絶望の中に、主はよみがえられた。
「終わりではない」「再び立ち上がるいのちがある」その復活のメッセージを信じる方に賭け、
新たな希望を目指して歩みたい。

                   (イースター礼拝)




『 もう泣かなくてもよい 』  ヨハネによる福音書20:11-18(5月1日)

私たち人間は、自分にとって大切な人を失った時、涙を流す。
辛いその涙を、無理してこらえてはならない。
涙は心の中にある「そのまま留めていては困るもの」を
洗い流してくれる働きを持っているのではないか。

今日の箇所にも、大切な人を失って涙に暮れる人が登場する。マグダラのマリアである。
つい数日前まで親しく歩んだイエス。
しかしそのイエスが十字架に架けられ、いのちを奪われてしまった。
大きな喪失感にさいなまれて、悲嘆の涙に暮れるマリア。
それは彼女にとって必要な「時」だった。

イエスの時は止まってしまった。でもマリアの時は止まらない。
辛いことだが、マリアはその日常を生きていかなければならない。
気持ちの区切りをつけるために「せめて、葬りの準備を…」
そう思って墓に行ってみたが、そこにはイエスのなきがらは見当たらなかった。
「どうしたらいいんだろう…」と、彼女はたたずむしかなかった。

そんなマリアに「なぜ泣いているのか」と語りかける人がいた。
マリアはその人を園丁だと思い、「私の主が取り去られました。
あなたが運び去ったのでしたら教えて下さい。私が引き取ります」と答えた。
複雑な彼女の心境が表わされていると思う。
イエスの死は受け入れ難い。しかしそのなきがらは引き取りたい。
そしてその現実を直視して、思いっきり泣きたい。そういうことではないか。

するとその人は「マリア」と呼びかける。
その声を聞いて彼女は、その人が復活のイエスだと気付く。
「ラボニ(先生)」彼女がそう呼びかけると、イエスは言われた。
「わたしにすがりつくのはよしなさい」。
何かこう、突き放すような言葉である。どういう意味だろうか?

「私のなきがらであれ、甦りの姿であれ、すがりついてはいけない。
 マリアよ、あなたはこれから私のいない日常を生きていかねばならない。
 だから泣いてもいいけど、泣きすぎてはいけない。
 もう泣かなくてもいい、そんな日が必ずやってくるから。」

そんな語りかけではないだろうか。

そんな言葉をかけられて、マリアがその時咄嗟にどう思ったかは分からない。
しかし必ずや、時間の経過の中で、マリアが涙を拭き、微笑みを浮かべ、
そしてイエスのいのちを引き継いで生きる、そんな歩みが与えられたに違いない。

からだは滅びても、いのちは滅びない。
肉体はなくなっても、つながりはなくならない。
そこに復活の大きな喜びと、深い慰めがある。

「もう泣かなくてもよい」。
どんな悲しみにも、癒される日が来ることを信じたい。




『 それでも世界は美しい 』       創世記1:27-31-(5月8日)

缶コーヒーのCMに、こんな内容のものがある。
「この惑星は本当にろくでもない。しかし、この惑星の朝日は美しい」。
このCMを見ていて、ある有名な逸話を思いだした。
それはV.フランクルの『夜と霧』という本の中に出てくるエピソードである。

『夜と霧』は、ナチスの強制収容所での凄惨な体験を記したものであるが、
ある日フランクルと仲間が過酷な労働を終えて宿舎に戻る時に、
沈みゆく夕陽を見て「なんて世界は美しいのだろう…」と感嘆したというのだ。

ナチスの強制収容所、それは人類が犯した過ちの中でも最も悲惨で残虐なものと言えよう。
しかしその殺伐とした世界の中にあって、
それでも沈みゆく夕陽はあまりに美しい…そう感じたというのだ。

フランクルには「それでも人生にイエス(Yes)と言う」という著書もある。
どんな絶望的な状況の中でも、人生を肯定する力を人間は持っていると語るのだが、
その前向きな思いと、この「世界は美しい」という体験とは、
どこか深いところでつながっているように思う。

創世記には2種類の天地創造物語がある。
そのうち冒頭の1章1節から2章4節にかけてのものは、
神が一週間で天地を創造される様子を淡々と記録する内容となっている。
一見無味乾燥に思える記述の中に、大切なキーワードが記される。

神は一日一日、その日の創造のわざをその日の最後に振りかえられ、そしてこう記される。
「神は見て、良しとされた」。
6日目の終わりに神が創造されたすべてのものをご覧になった時は、
「見よ、それは極めて良かった」。
「世界は美しい」…そういうものとして天地は創造されたということである。

この創造物語が編集されたのはバビロン捕囚期、
つまりイスラエル民族にとっては国家存亡の危機とも言える時代だったという。
そんな試練と苦難の中で、人々は
「それでもこの世界は、基本的に美しい」ということを伝えたのである。

東日本大震災のあまりもの被害に私たちは言葉を失う。
その復興への長い道のりを想像すると、絶望的な思いにすらなることもある。
しかし「それでも世界は美しい」そう受けとめる中から、
新たな歩みが生まれることを信じたい。

「空の鳥、野の花を見よ」と語り、「明日を思い悩むな」と語られたイエスも、
きっとそう言われるであろう。




『 朝ごとに新しく 』      哀歌3:17-23a(5月15日)

『讃美歌21』への移行に伴い、愛唱の賛美歌が削られたことへの遺憾の思いをよく聞く。
賛美歌が新しい時代にふさわしいものに変えられていくのは仕方ない。
しかし長年慣れ親しんだ歌が消えて無くなることへの淋しさもまた理解できる。

不継続となった理由について、こう記されている。
「信仰共同体の祈りというよりは、個人的、主観的、情緒的な賛美歌が多い」。
確かに、信仰の課題について意識を広げてくれる歌も必要だろう。
しかし人間とは、一方で主観的、情緒的な存在でもある。
主観や情緒を排除するのではなく、それも含めた人間存在を受けとめたい。

改訂によって、こぼれ落ちる歌が生じるのはやむを得ない。
しかし、新しい歌集に継続されなかったからと言って、
その歌が消えてしまうわけではない。死んでしまうわけではない。
その歌を歌うことによって、心が慰められ、希望に満たされるなら、
それは「古くて、新しい歌」なのである。

「哀歌」は、バビロン捕囚の苦難の中で記された、預言者エレミヤの言葉である。
全編を通して嘆きの思い、哀しみの思いを綴ったものであるが、
それは「うた」として紡ぎ出されたものであった。
哀しみの出来事の中で、哀しみの思いを、主に向かって歌うこと。
その行為自体がイスラエル民族を支えてきた...
そのことを知るからこそエレミヤはこう語る。
「主の慈しみは絶えず、主の憐れみは尽きない。それは朝ごとに新たになる。」

東日本大震災の支援活動の中で童謡「ふるさと」が歌われることに対し、
これを批判する文章を読んだ。理屈では分からなくもない。
地震の後の津波によって、「ふるさと」を流された人がたくさんいるのだから。
しかし、被災地を訪れた音楽家が歌う「ふるさと」によって、
涙を流し心を慰められた人もいた。理屈を超えた「歌の力」を感じさせられる。

「古くて新しい歌」も大切に歌い継いでいこう。
それは「朝ごとに新たになる」のだから。




『 暗闇の中を歩む者 』  ヨハネによる福音書12:27‐36(5月22日)

人類の歴史は、「夜の闇」との闘いの歴史であったと言うことができるだろう。
体がさほど大きくなく、力が強いわけでもなく、夜目もきかず牙も毒も甲羅もない人間にとって、
夜の闇は大きな恐怖を抱かせるものだったに違いない。
夜になると大地の片隅にひっそりとたたずみ、夜が明けるのをひたすら待ったことだろう。

しかし人間は火を手に入れる。
自然界の生き物で火を自分の住み処に持ち帰ることに成功したのは、人間だけである。
火は火傷や火事といった災いももたらしたが、大きな利益ももたらした。
ひとつは熱。その熱を利用して冬の寒さを凌ぎ、食べ物を調理し、道具を作った。
もうひとつは光。夜の闇を照らす明かりは、闇を恐れる人間にとって大きな恵みであった。
火を手に入れたことは、その後の人間の暮らしぶりを革命的に変革させた。

人類にはもう一つの「闇との闘い」があった。
それは心の中に広がる闇、「悪」との闘いである。
物理的な闇との闘いが科学の分野の働きであったのに対して、
心の闇との闘いは、宗教の役割であった。

聖書にもそのような悪との闘いを「光と闇」というモチーフで語る言葉が数多く記される。

  「あなたがたは以前は闇でしたが、今は主に結ばれて光となっています。
   光の子として歩みなさい」(エフェソ5:8)。

このような言葉を探せば、枚挙に暇がない。
今日のヨハネの箇所もそのようなもののひとつである。

私たちはこれらの聖句を読む時に、こんな読み方をしてしまう。
「闇は邪悪であり離れるべきものであって、光こそ良きもの、目標とすべき理想である」
その読み方で間違いないであろうし、著者の意図にも沿うものである。
しかし私は、「いま、この状況」の中にあって、
そのような二元論解釈だけでこの言葉を読んで済ませることに、大きなためらいを感じてしまう。

科学の進歩により、特に電気の開発によって、人間は闇を克服し、格段の便利さを手に入れ、
この世界を「思い通りにできる」と思い込んだ。
しかしそれはとんだ思い上がりであり、
それは3分間あまりの大地の揺れと、十数mの津波によって打ち砕かれてしまった。

夜の闇に光をもたらそうとする営みが、すべて間違っていたとは思わない。
しかし光を手にすることによって「オレたちは闇を克服した、闇を排除したのだ!」
そんな気になってしまうことは、とんでもない思い上がりではないか。
闇は闘うものであっても、決して排除すべきものではない。
克服しようと思っても、できるものではない。
それは多少の恐れを抱きつつ、向き合い見つめながら共存すべきものなのではないか。

心の闇についても同じことが言える。
私たちが聖書の教えを読むことによって、
心の中にある邪悪さに気付きそれを乗り越えようとすることは大切である。
しかしそれで闇をすべて排除できるわけではない。
依然として闇は闇として残り、私たちは生きる限りその闇を共に歩まねばならない。
もし聖書を学ぶことによって、私たちが自分を光の世界の住人だと思い込み、
「心の闇を克服した」と考えるならば、それは大きな思い上がりではないか。

深い夜の闇は、私たちに悪しきものだけをもたらすのではない。
3月11日の夜、大都会の空には見事な満天の星空が仰げたという。
人口の光が消え、宇宙の闇が広がる中で、
小さな、しかし確かな光に包まれることを感じることができたのだ。
現代に生きる私たちは、闇を取り戻さなければならないのではないかと思う。

私たちは光を求めつつ、「闇の中を歩む者」である。
だからこそキリストの光に気付き、それを求め、導かれる者とされるのである。




『 共同体のメンバーシップ 』   レビ記27:30-34、民数記1:1-2(6月5日)

レビ記の学びを続けてきたが、今回が最終回である。

最終章に記されたのは「献げものに関する規定」である。
思えば、レビ記の冒頭に記されたのも「献げもの規定」であった。
冒頭の規定は献げものの内容や献げ方(作法)についての取り決めであったのに対し、
最終章では献げものの分量についての規定が記される。

具体的な数字が記される。「十分の一」。
これは創世記に記された「ヤコブのはしご」の物語の中で、
ヤコブがベテルの地で「十分の一の献げもの」の誓いを立てたことに由来する。

「十一(といち)献金」という言葉がある。
全収入の十分の一を献金として献げるという意味で、私たちの用いている月定献金袋にも記されている。
教派によってはこの定めの厳守を呼びかけるところもあるが、東神戸教会ではあまりそういう話はしない。
「できる限り、精一杯の思いを込めて...」そういう言い方をすることが多い。それでいいと思っている。

献げものとは神さまの恵みに対する感謝の気持ちを表わすもの。
その感謝の気持ちに「定価」はつけられない。つけなくてもよい。

しかし古代イスラエルの人たちはそれを具体的な数字を挙げて提示した。
そうしなければみんなが「楽なほう」に流れてしまうという懸念があったのかも知れない。
十分の一という数字は、結構な量である。人によっては大変な割合とも言える。

しかし「まったく無理!」な量か?というと、少し考えさせられる。
他の部分では結構な贅沢をしておいて、献げものは「この程度でいい」となってしまうならば、
「献げる姿勢」として、それはそれで問題ではないだろうか。
「献げる姿勢」を表わす目安として、このレビ記の記述をひとつの問いかけとして受けとめたい。

パウロは「強制されてではなく、惜しまず豊かに喜んで献げなさい」と語った(Ⅱコリント9:7)。
神への感謝を表わすために、十分の一の献げものを携えて礼拝に集まる人々。
それが古代イスラエルにおける「共同体のメンバーシップ」だったのだ。




『 こころがあつくなる 』 使徒言行録2:1-4 ルカ福音書24:28-32(6月12日)
                                 CS合同礼拝
ペンテコステは「教会の誕生日」。
イエスさまの弟子たちに聖霊という神さまの見えない導きが与えられ、
教会の活動が始まった日とされています。

「ふ~ん。じゃあ、“聖霊の導き”って、実際にはどんなことがあったの?」
そう質問されると、答えに困ってしまいます。
「よくわからない」。そう答えるしかありません。

「聖霊の導き」というものは、「あ、いま来てる、来てる来てる!」という風に
その時に分かるものではありません。
でも、その時は分からなくても、あとでふり返って
「あれがそうだったのかなぁ…」と分かるものだと思うのです。

ルカによる福音書には、エマオという村に向かう二人の弟子たちが、
よみがえられたイエスさまと出会ったお話しが書いてあります。
最初ふたりはその人がイエスさまだとは気付かなかった。
でも道を歩きながら話をし、泊まるために宿屋に入り夕食の時にパンを割かれたその時!
それがイエスさまだと気付いた。
すると、イエスさまの姿は見えなくなった。
不思議な出来事です。
弟子たちが見たのは夢か、幻だったのでしょうか?

大切な言葉が書いてあります。
イエスさまが見えなくなった後、弟子たちはこう語ったのです。
「道々話していたとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」。
こころがあつくなる、あったかくなる。そんな気持ちになった、というのです。

その体験が弟子たちを励まし、新しく歩く力をくれました。
「聖霊の導き」というものも、それと同じようなことではないかと思うのです。

東北教区震災救援センター「エマオ」には、
全国からたくさんのボランティアの人たちが集まっています。
被災地の片付け作業は、重機に頼らず、「効率の悪い」手作業での仕事を続けています。
それには訳があります。
片付けの必要な「ガレキ」でも、そこに住んでいた人には大切な思い出なのです。
それを機械で一気に片付けるのでなく、丁寧に仕分けすることを大切にしています。
仙台市内から被災地までは、1時間かけて自転車で通っています。
車で行った方が早いのですが、自分たちも苦労して移動することを大切にしています。
その姿を見て、被災者の人たちも「あの自転車の人たち」と信頼してくれるのです。

ボランティアに来た人は決して強い人ばかりではありません。スーパーマンではありません。
でも小さな力を集めて、大切な働きを積み重ねています。
やって来た人は口々に言います。「エマオに来れてよかった」。
救援活動を通して、みんな「こころがあつくなる」体験をしているのだと思います。
そこに聖霊の導きもある。イエスさまも一緒にいてくれる。
そしてその体験が、ひとりひとりを新しく作りかえてくれる。そう信じます。

エマオでは今日も、被災者のための大切な働きが続けられています。
みんなでエマオへの応援歌、『エマオのおまえ』を歌いましょう。

  ♪エマオのおまえ

  エマオ エマオ こころがあつくなる
  エマオ エマオ あのひとにあえる

1.ゆうひのみちを ともにあるいて
  あいをとかれた あのひとと
  みえないけれど つながっている
  ぼくらはひとりじゃないよ


2.おおきなしごとは できないけれど
  ちいさなことから コツコツと
  じてんしゃこいで でかけてゆこう
  ぼくらはむりょくじゃないよ

  エマオ エマオ みんなにあえる
  エマオ エマオ おまえにあえる




『 人からの誉れ、神からの誉れ 』  ヨハネによる福音書12:36b-43(6月19日)

人生の中で、判断に困り簡単に決断できないことがある。
そのようなときこそ、その人の価値観の軸=人生哲学が浮かび上がる時だろう。

多くの日本人の深層心理において、こうした時に軸となるのは
「自分の考え」ではなく「他人の目」だと言われる。
「タテ軸(=神、絶対者)のない日本人」という言い方もされるが、
「和をもって尊しとなす」の聖徳太子の時代から、
この国では共同体の和合をひとつの基準として社会が築かれてきた。

これに対して、西欧キリスト教文明、イスラム社会においては、
タテ軸、即ち「神のまなざし」が重要とされる。
洋画の裁判のシーンで、証人が聖書に手を置いて宣誓すると、
自分に不利な証言でも語る場面がある。
人の目はごまかせても、神の目はごまかせないというわけだ。

今日の箇所にも、この価値の軸に関わる事柄が記される。
イエスの言葉を聞いて信じながら、人の目世間の目を恐れて、
その思いを言い表さない人がいた。
そのような人に対して、ヨハネ福音書は
「彼らは神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだ」と手厳しい。
ヨコ軸社会の日本人のひとりとしては、ドキッとする言葉である。

しかし続く箇所においてイエスは
「私はその者をさばかない。終わりの日には裁かれるであろう」と語る。
人の目を気にする弱さ故に主を拒んだ人々を、「今は」裁かない。
しかしいつまでもそのままで、本当にあなたはそれでいいのか。
終わりの日には裁かれるかも知れないよ、ということだろうか。

人目を恐れるということで言えば、イエスの弟子たちも同じであった。
十字架に向かうイエスを見捨てて逃げ去った弟子たち。
彼らとて、大事な師を裏切って平気だったわけではなかっただろう。
自分が悔しくて情けない、忸怩たる思いを抱えていたに違いない。
そんな思いを抱いきつつ、ただ集まって祈るしかなかった彼らに、
聖霊の導きが与えられ、新しく歩み始めた出来事。
それがペンテコステの物語である。

会津の教会の牧師をしていた時、脱原発の運動に関わっていた。
同じ福島県の浜通に存在する原発の危険性を訴え、撤退を求める運動である。
しかし神戸に来てからは、あまり脱原発のことを言わなくなってしまった。
考えが変ったわけではない。「反対」から「賛成」になったわけではない。
しかしあまりそのことを語らなくなってしまった。

「現場から遠くなった」「電気を送る側から使う側に変わった」
いろんな理由を挙げてみるがどれもしっくりこない。
端的に言えば、脱原発を語ることによって生じる、人間関係の摩擦を恐れたのだろう。

今回の原発の事故をめぐり、いま改めて自分が問われているのを感じる。
「神のまなざしのもとで、あなたはこのことをどう考え、発言し、行動するのか」と。

私たちは弱い存在である。人の目を気にして行動することばかりである。
でも肝心な時には、人の目ではなく神のまなざしを感じる中から、
行動し、決断するものでありたい。




『 闇の中にまたたく光 』   ヨハネによる福音書12:44-50(6月26日)

福島県飯舘村は「までいの里」というキャッチコピーで村おこしに励んでおられた。
「までい」とは「ゆっくり、ていねいに」という方言であり、
今で言う「スローライフ」を中心とした村作りである。
「人と人の絆を大切にし、まごころを込めて自分たちが誇れる村を作っていこう...。」
村長を中心に、小さな、しかし確かな取り組みを、一歩一歩積み重ねてこられた。
その美しい村が、原発の事故による放射能汚染で避難地域となってしまった。
村人たちの無念さはいかばかりかと思う。

しかし、その汚染された村に、村長は「2年で帰る」と宣言された。
そこには、たとえ村の大地が元の清浄を取り戻せなくても、
それでも自分たちの村を愛するという気持ちが込められていると思う。

宮崎駿の「風の谷のナウシカ」は、今の原発事故・放射能汚染と通じるテーマの作品だ。
核戦争によって放射能に汚染された大地を、地球自身が浄化しようとする世界が描かれる。
しかし後半、物語は一変し、
その浄化作用は一部の人間が仕組んだプログラムであったことが分かる。

ナウシカはそのプログラムを何とか阻止しようとする。
なぜならば、すべての汚れが排除され、完全に浄化された世界。
それは「いのちの宿る場所ではない」と悟ったからだ。

「一部の人間」と「ナウシカ」の最後の闘いの中で、印象的なやりとりが交される。
世界浄化を目指す人々がナウシカに対して、
「お前にはみだらで危険な闇のにおいがする。いのちは光だ」と言うと、
ナウシカは応える。「ちがう!いのちは闇の中のまたたく光だ」。

ヨハネ福音書は「イエス=光、世=闇」という図式で、
キリストによる救いの物語を記そうとする。
しかし「光の世界」を理想として現世を否定する思想(グノーシス)とは一線を画し、
光である救い主が闇の世界に「受肉した」ということに強いこだわりを見せる。
なぜならそれが罪に満ちたこの世を、それでも神が愛された、その証しだからである。

「神はひとり子を与えたほどに世を愛された」(ヨハネ3:16)。
神は教えを守り、善を行なう者だけを愛されたのではない。
むしろ闇と光が混在し、純真さと邪悪さが混沌としている、
そんな世の人々を愛されたのだ。
『闇の中にまたたく光』、それこそが神の愛のターゲットである。




『 共同体のメンバーシップ Part2 』       民数記1:1-4(7月3日)

あるコミュニティが共同体壊滅の危機に遭遇しながら、
そのピンチをくぐり抜けて新しい歩みを始めようとする時、
そこで一番最初に行なうことはどんなことなのだろう?

たとえば東日本大震災で、多くの町や村で多数の避難者が出ているが、
将来地元に帰ることができた時、そこで人々が最初にすることは何なのだろうか。

イスラエルの民がエジプトを脱出し、新しい共同体を立ち上げようとした時、
一番最初に確認をしたことは「安息日(礼拝)を大切にせよ」ということであった。
自分たちのアイデンティティの確認である。
古代イスラエルの共同体のメンバーシップ、
それは「共に主を礼拝する民」ということであった。

続く民数記においてなされているのは「人口調査」である。
古代より人類は人口調査を行なってきた。
その目的の多くは、課税であり、徴兵であり、労働力の調査であった。
だからその調査は、現代の国税調査のような全人口の調査ではなく、
世帯主・納税可能な人・徴兵年齢の男子といった限定的な調査であった。

民数記の人口調査の目的は明確だ。
「イスラエルの中から兵役につくことのできる20歳以上の者を登録せよ」(1:3)。
「兵役」「戦争」と聞くと私たちは穏やかではなくなるが、
よい・わるいは抜きにして、古代とはそういう時代であった。
古代イスラエルの共同体のメンバーシップ、
それは「イスラエルのために闘う者(働く者)」ということであった。

しかし私たちはその背後を想像しなければならない。
数には入らないが、かつてイスラエルのために働いた人たち(老人)、
これから働く人たち(こども)、
そして共同体の半数を構成する女性たち=いのちを生む力を持つ人たちがいたということ。
彼ら・彼女らなしに、コミュニティは成り立たない。

共同体のメンバーとはどこまでなのか。
私たちはすぐに線を引きたがる。
しかし神さまの目から見る時、その線引きは大したことではないのかも知れない。
イエスはそのことを教えてくれたのではなかっただろうか。




『 仕える者の物腰 』    ヨハネによる福音書13:3-17(7月10日)

ここ10年、教会のトイレ掃除を続けている。
最初は少し抵抗があったが、人間は慣れるものである。
今は便器の中に手を突っ込むことに何の抵抗もない。
むしろトイレ掃除をすることに、小さな喜びと誇りすら感じるようになっている。
「汚い仕事」と思われているものでも、慣れてしまえばそこにはささやかな喜びがあるものだ。

ヨハネ福音書は13章から第2部に入る。
第2部は大半がイエスの説教であり、十字架の苦難を前にしての「遺言」的な言葉が続く。
ところがその冒頭でイエスは弟子たちの足を洗われた。
ヨハネだけに記された、有名な「洗足」の出来事である。

足を洗うというのは、当時は奴隷のする「汚い」仕事であった。
ペトロは師であるイエスが足を洗う姿にうろたえ、自分の足を洗うイエスを拒もうとする。
「師が弟子の足を洗うなど、あってはならない。弟子は師にそんなことをさせてはならない」。
人と人の関係を固定化する発想から抜け出られない精神が、そこにある。

「人の上に立つ人間は、部下を指導し、命令するものであって、
決してナメられてはならない」― そんな意識で人と向き合う人がいる。
最近もそんな不遜な態度を示して辞任に追い込まれた大臣がいた。
そんな人ほど、自分が下の立場に立たされると、途端に媚びへつらう態度を示すものである。
ペトロがイエスを拒んだのも、単なる謙遜ではなくて、
彼自身の隠れた権威主義の裏返しなのかも知れない。

しかしイエスの教えはそうではない。
指導する者は単なる権威主義者であってはならない。
むしろ「仕えること」「僕となること」そこに指導者としての規範がある。
そのことを単に言葉で教えるだけでなく、自らの振る舞いを通して示されたのだ。

私はふと想像する。
イエスが誰かの足を洗ったのは、それが初めてだったのだろうか?
むしろ幼い頃からこれまでに何度も体験されたのではないだろうか、と。
最初は抵抗を感じながら、それでも身をかがめ、這いつくばって、
それこそ慣れてしまうくらいそのことを続けながら、
そこで大切な何かを学んでいかれたのではないだろうか。

「仕えること」「へりくだること」― それを理念だけではなく、
具体的な身体の振る舞いを通して学ぶ。
そうすることによって「仕える者」の物腰が形作られてゆく。




『 いのちを祝う食卓 』   ルカによる福音書9:12-17、ほか(7月17日)

「最後の晩餐」が原型となり、そこから整えられていった聖餐式が、
教会の中で大切な儀式として受けつがれていったことは事実である。
しかし、初めに聖餐があったわけではない。
イエスと人々との共なる食事は「最後の晩餐」だけではない。
実に様々な共に食事をする関わりが聖書には記されている。

イエスと、人々との出会い・交わりは、食事という最も日常的な営みを通して持たれた。
共に食事をするということは、共にいのちを分かち合うことだったからだ。

イエスは徴税人、遊女、「罪人」と呼ばれた人たち、
律法学者からは「共に食事をする資格のない人」とされた人とも、共に食卓を囲まれた。
彼らもまた神の国の一員だったからである。

一方で人を差別し、優劣を決めつけ、貧者・弱者を軽んじる人には、
厳しく悔い改めを迫った。
そのような姿は、神の国から最も遠いものだったからだ。

貧しい人とだけではない。ザアカイのような金持ちとも食事を共にされた。
どんな人も与えられたいのちを喜び祝う交わりに招かれている...。
そのことをイエスは示されたのだ。

五千人との共食。
五つのパンと二匹のさかなをみんなで分け合ったところ、
「男五千人」が満腹したと記される。男だけだったのだろうか?
そんなわけがない。その2倍、3倍の、女性や子どもたちを含む人々が、
共にパンを魚を分かち合ったことだろう。

これが「主の食卓」である。
それは開かれた食卓であり、出会いの食卓であり、分かち合う食卓である。
神さまに与えられたいのちと食べ物、それを互いに喜び祝う食卓である。
しかしただ楽しいだけの快楽的な食卓ではない。
それに加わる者に少しの反省をうながし、自分勝手な生き様を作りかえて、
共に生きる生活を生み出す。そんな食卓であった。

だからこそイエスに出会った人たちは、イエスが天に帰られた後も、
食事の度にイエスを想い起こし、パンを分かち合い盃を共に交しながら、
イエスに従って新しく歩む道を目指していったのである。

4月上旬、東北にボランティアに行った際に、忘れられない二つの食卓の体験をした。
最初に訪れたのは石巻市。市の半分以上が津波で流された街である。
すでに石巻の教会に先発隊でボランティアに入っていた同志社の神学生たちに、
「ひょっとしたら迷惑になるかも知れないかな...」と思いつつ、差し入れを持くことにした。
「迷惑になるかも...」という思いは杞憂であった。
から揚げとお寿司をしこたま買い込んで、差し入れを持参したことを告げると、
チーフのWくんは溶けるような笑顔を見せた。
「うれしいですー。もうこの数日間、レトルトものしか食べてなかったんです~!」

その後持ち寄った食材と、教会で作ったおかず・ごはんを囲んで、昼食を共にした。
ワーク隊は8人、学生だけでなく、40代、50代の人たちもいた。
差し入れを持って行った僕と友人の牧師、それに石巻の教会のK牧師夫妻。
さらに、まったくの別ルートで、教会でのボランティア活動を知りやってきた3人の若者。
誰が教会関係者で、誰がそうでないか、そんなことは何の関係もない。
みんな自分の時間を用いて、誰かの役に立ちたいと出かけてきた人たちと一緒に食事をした。
そこに「主の食卓」があった。イエスが共にいて下さることを心深く感じることができた。

もうひとつの体験は、東北教区支援センター「エマオ」から派遣された仙台市の荒浜地区。
津波で全壊ではないけれども、床上浸水をしたお宅の、ドロのかき出しのお手伝いをした。
ボランティアは被災者の食料を奪ってはならないので、食事・飲料は自己調達が原則である。
我々も自分の分のおにぎりと、お茶のペットボトルを持って、ワークに出かけた。

昼食時に、空き地に行っておにぎりを食べようとしたら、
被災者の方々から「こっち来ていっしょに食べよう」とお誘いを受けた。
最初は固辞していたのだが、「そう言わんと食べてくれ。食べるのもボランティアだべ」
そう言われて、それじゃあ、ということでいただくことにした。

すると被災者の方が自分たちのための食べ物を、次々にボランティアたちに分けてくれた。
いつもよりもおなかいっぱいになった。それ以上に、こころがいっぱいになった。
津波という未曾有の出来事に見舞われ被害を背負い、生活の再建で大変だというのに、
それでも手に入れた食べ物をボランティアたちに分けてくれた人たち。
共にいのちを分かち合う、「主の食卓」がここにある。強く強く、そう感じた。

2000年前、イエス・キリストの物語。
初めにあったのは、「主の食卓」であった。
共にいのちを喜び祝い、共にいのちを分かち合う、そんな食卓だった。
「いのちを祝う」ということが簡単にはできない、難しいと思える中でも、
それでも限られたものを分かち合い、思いが満たされる、そんな食卓だった。

その「主の食卓」を共に囲む豊かさを知る者は、必ずや共に生きる者へと導かれていく。
そのことを信じたい。

     (第3礼拝『主の食卓を共に囲む礼拝』)




『 不完全な者を包み込む愛 』  ヨハネによる福音書13:21-30(7月24日)

ユダの裏切りについて、イエスが予告をされる場面である。
四つの福音書すべてに記された出来事でありながら、その様相はそれぞれに異なっている。
それだけに現在でも謎めいた出来事として、研究の対象となっている。

ヨハネでは直前に「洗足」の出来事があり、
そこでイエスは「あなたがた(弟子)は清いが、皆が清いわけではない」と語られる。
さらに「私のパンを食べている者が私に逆らった」という詩編41の言葉を引いて、
裏切りの起こることが旧約の預言の成就であることを示される。

そうして「あなたがたのうち一人が、私を裏切ろうとしている」という予告がなされる。
弟子たちがうろたえて「それは一体誰だろう?」と顔を見合わせていると、
「私がパンを与える者がそれだ」と言われ、そしてパンをユダに渡された。
ユダは受けとると外へ出て行った。

一連の物語を読んで思うことがある。
ユダの方から積極的・主体的にイエスを裏切ったというよりも、
イエスの方からそうするようにとし向けているのではないか。そんな風に思えるのである。
「しようとしていることをするがよい」という言葉は、
ユダの裏切りを「必要なこと」として、役割を与えておられるようにすら感じられる。

「私がパンを与える者がそれだ」と言ってから、パンを手渡すという行為は、
ある種決定的な、裏切り者を名指しするふるまいである。
実際にそんなことをされたら、たまったものではないだろう。
これはイエスからユダへの、絶縁状なのだろうか?

ひとつ気になる言葉がある。
13:1「イエスは世にある弟子たちを愛して、愛し抜かれた」という言葉がそれだ。
さらにその後「洗足」が行なわれるが、イエスはユダをパスされただろうか?
いやきっとユダの足も洗われたことだろう。慈しみの眼差しで見つめながら。

イエスはユダの心の片隅に裏切りの思いがあることを知っておられたのではないか。
その上で、すべてを悟りすべてを受け入れて、
自分を裏切ろうとする思いも含めてユダを愛されたのではないか。
そこには「不完全な者を包み込む愛」がある。

旧約聖書の「神の愛」のイメージは、不正を許さず、弱い者を大切にする、そんな姿だが、
一方では大変厳しい裁きをも伴うイメージを伴って語られている。
しかし、新約聖書のイエスの語る神はそうではない。
不正すら働いてしまう人間の弱さ、不完全さを知りつつ、
それでもその人間を包み込み愛そうとされる、あたたかなゆるしの愛のイメージである。

人には時に厳しさも必要である。
厳しさの中で鍛えられて、正しい道に導かれれる...そんな体験も大切だろう。
しかしいつも、常に、厳しさのみに晒されて生きるということは、
萎縮した怯えた魂を作り出すことはあっても、
のびやかな、大らかな精神を形作ることはできないと思う。

不完全な者をも包み込み、それでもその人を信頼し受け入れる愛というものこそ、
私たちを本当に内側から作りかえてくれるのではないだろうか。




『 弟子の学びと成長 』  ヨハネによる福音書13:31-38(7月31日)

中国の古事に「張良」という不思議な物語がある。
後に名将と言われた張良が、師の黄石公から兵法の極意を伝授された時のお話しである。

ある日、師が馬に乗って通りかかり片方の沓を落とすと、
張良に「取って履かせよ」と言うので、その通りにする。
別の日、今度は両方の沓を落として「取って履かせよ」と言う。
その言葉に従った瞬間、張良は兵法の極意を悟る、というお話しである。
何ともワケの分からない話であるが、その意味は次のように説明される。

黄石公がしていることの意味が、張良にはすぐに分からない。
つまり師匠は弟子に対して常に先手を取っている。
兵法においても、大切なのは先手を取ることであり、
そうすることによって相手に考えさせ混乱させることが極意となる。そういうことらしい。
しかしこのお話しは、兵法の極意以外にも大切なことを伝えてくれる。

弟子は師に対して常に遅れをとっているということ。
言い換えれば常に遅れたところに自らを位置付けることが、
即ち誰かの弟子になるということである。
そしてそのような居住まいに立つことによってこそ「学び」が立ち上がるのではないか。

聖書にも無理解で無自覚な弟子たちの姿が描かれる。
一番弟子と言われたペトロでさえ、イエスの教えることをすぐさまには理解できない。
それどころか「あなたのために命を捨てます」と語るペトロに、
イエスは「あなたは三度わたしのことを知らないと言う」と予言される。
ユダとはまた別の、裏切りの予告。まさに無自覚で無理解な姿が示される。

私たちはそのような姿をしばしば批判する。
しかし、考えてみれば、弟子とははじめから「無理解な存在」なのではないか。
そこから始めるしかない、そこから始めてよいのではないか。

師の言うことが「分かった」と思うのは思い上がりで、
いつも「まだまだ」と言われ続けるのが弟子の宿命なのではないだろうか。
しかし、あとでふり返って、そんな弟子にも生き様の変化が見て取れる。

はたして予告通り、ペトロは十字架を前にしたイエスとの関わりを3度にわたって否認した。
しかしヨハネによる福音書には、そのペトロの続編が記される。
復活したイエスがペトロの前に現れて、3度にわたって問いかける。
「あなたは私を愛するか?」。ペトロの3度の否認と対応する数である。
「私はあなたを愛します」と語るペトロに、同じ言葉が繰り返される。

 「私の羊を養いなさい」。

この言葉通り、ペトロはその後初代教会の指導者として、
浮き沈みを繰り返しながらも、信徒との関わりを保ち続けた。
伝説によると、ローマ皇帝ネロのキリスト教徒迫害のもと、
最後はイエスと同じような十字架による最期を遂げたという。
殉教の死を美化することはしたくないが、ここに「弟子の学びと成長の道」が見て取れる。

私たちもイエスの教えに完璧に従うことのできない存在である。
私たちはイエスに常に「遅れている」。それが弟子としての宿命である。
そんな自分をまずは受け入れよう。その上で、その自分に居直らないようにしよう。
「遅れている」という自覚を持つことが「学び」への意欲を起動させ、
そのことによって、結果的に成長する。それが弟子のあるべき姿である。




『 扉の向こうに何がある? 』     マタイによる福音書7:7-8(8月7日)

今日、デイ・キャンプで訪れる六甲山荘は、W.M.ヴォーリズ建築によるものである。
ヴォーリズは全国に1500以上もの建物を残した著名な建築家であるが、建築は彼の本業ではない。
他にも学校(近江兄弟社学園)、医療(近江サナトリウム)、事業(メンソレータム)など、
多方面に活躍した人だが、どれも彼の本職ではない。

ヴォーリズの天職、それはイエス・キリストの福音を日本に伝える宣教師である。
建築も、事業も、彼の宣教活動を支える「生業(なりわい)」であった。
パウロが天幕作りを生業としながら伝道活動を展開した姿を彷彿とさせる。

近年、ヴォーリズ建築の価値が再評価されている。
今春、神戸女学院大学を退官した内田樹さんは、
その最終講義でヴォーリズ建築の「教育的機能」を指摘しておられた。

建築様式や調度品の見事さが賞賛されることが多いが、内田氏の視点は別にある。
適度な暗さ、音の響きの良さ、そして建物のあちこちに施された「謎」。
それがヴォーリズ建築の「つぼ」なのだという。

「自ら好奇心を抱き、暗い階段を上って扉を開けた者がそこに見つけるのは、
 『思いがけない眺望と出口』です。
 これはまさに『学びの比喩』であると同時に『信仰の比喩』でもあるのです。」
                           (内田樹『最終講義』)
未知のものに対して自ら扉を開いて出会ってゆく営み。
それが「学び」であり「信仰」だということだ。

「求めよ、さらば与えられん。
   探せ、さらば見出さん。
   門をたたけ、さらば開かれん」。

今日読んだ聖書の箇所に記された、イエス・キリストの言葉である。

私たちが扉を開いて出会うもの、それは必ずしも私たちが欲しているものではないかも知れない。
しかし、信仰とはそういうものではないだろうか。
もし自分の欲するものだけを求めているのだとすれば、そこにどんな敬虔な振る舞いがあったとしても、
それは結局、「自分の腹を神としている」だけなのであり、聖書の禁じる偶像崇拝に他ならない。

「扉の向こうに何がある?」...それは誰にも分からない。
でも、その未知のものにむけて、自分を開いて、ワクワクした思いで出会ってゆく。
そんな信仰に導かれて歩む者でありたい。




『 最後のできごとにしたいから 』     ルカよる福音書12:13-21(8月14日)

広島の原爆慰霊碑にはこんな碑文が刻まれている。
「安らかに眠ってください。過ちは二度と繰り返しませぬから」。
二度と核兵器の被害で、放射能で苦しむ人を生み出してはならない、
そんな決意が、この街の反核平和運動をリードしてきた。

しかしこの言葉は、今年の3月11日以降、痛恨の思いと共に私たちに迫ってくるものとなった。
福島第一原発の事故により、新たな被曝者を生み出してしまったからだ。
広島原爆の30発分とも言われる量の放射性物質がまき散らされ、
数多くの人々が避難を余儀なくされている。
その非日常がいつ終わるのか、まったく先が見えない現状である。

広島・長崎の原爆の背後にあるのは、戦争だ。
それ故、これを批判するときにその対象も見えやすい。
戦争は庶民が始めるのではない。
いつの世も、その時代の支配者・権力者が戦争を始めるのである。
しかし原発はそうではない。その背後のあるのは経済や利便性であり、
それを支えてきたのは私たちひとりひとりである。

「自分が原発を始めたワケではない」と言う人があるかも知れない。
しかしその人であっても、何らかの形で原発によって供給される電力の恩恵に与っている。
「電力会社や政府の対応が悪い」という批判もあろう。
しかしただ誰かを批判するのでなく、
私たち自身が原発を必要とする暮らしぶりを認めてしまってきたことを忘れてはならない。

「どんな貪欲にも注意を払いなさい。人の命は財産によってはどうすることもできない」。
イエスの言葉である。続くたとえ話で、貪欲に生きる「愚かな僕」の姿が語られる。
自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者の姿。
それは「平和」から最も離れた姿そのものではないか。
自分の中に巣食う貪欲を見つめ直し、原発を必要とするような生き方から脱却していく生き方も、
「平和への歩み」その小さな、しかし大切な一歩と言えよう。

ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリ。人類が体験した大量被曝の出来事。
そこに今年、残念なことに「フクシマ」という地名が加わってしまった。
「これを最後の出来事にしたい」そんな決意を新たにしつつ、自分を、そして世界を見つめたい。

  ♪風よつたえて    南 修治
   
  ひとかけらのパンと ぶどう酒が
  本当にわたしたちを 救うのか
  わたしのからだを 育てるはずが
  わたしのからだを むしばむかも知れない

  神が与えた いのちの糧を
  試さなければ 受け入れられない
  こんな悲しい 日常を 疑いだらけの毎日を

  風よ 風よ 伝えておくれ わたしの友だちに
  最後のできごとにしたいから 
  風よ 風よ

     (平和主日礼拝)




『 約束の地へ、いざ出発! 』  民数記10:33-36(9月4日)

月に一回、旧約聖書を取り上げる礼拝。
約3年間にわたり律法をはじめとする規則集の箇所を取り上げてきたが、
その学びも今日でひと区切りとしたい。物語の流れをもう一度確認しよう。

イスラエル民族の信仰の原点、それは出エジプトの出来事である。
エジプトで奴隷の状態にあった人々が、苦しみの中から神に叫ぶと、
神は指導者モーセを送り、人々を解放された。
エジプトのファラオとの交渉、過越の出来事、海の奇跡、そしてシナイ山で授かった十戒。
これら一連の物語が出エジプト記の前半に記される。

そして人々はいよいよ主の約束された土地、
「乳と密の流れる地」であるカナン(現在のパレスチナ)に向かって進んでいくのであるが、
そこで新たな共同体を作るに当たって何を大切にしていけばよいか。
その決まり事をモーセが人々に伝える。
これが出エジプト記後半~レビ記に記された「律法」である。
律法とは神の側から一方的に押しつけられた規則ではなく、
最初に神の救いがあり、その救いに感謝の思いで応える道として示されたものなのである。

民数記の冒頭は人口調査である。
これは新たな共同体のメンバーシップの再確認と言えるだろう。
レビ族に属する人々は祭司職を託され、他とは少し違う扱いを受けることも記されている。

こういった箇所を3年かけて学んできたが、物語の時の流れは止まったまま、
即ちモーセがシナイ山から降りてきて、これから約束の地へ入るその手前の状態である。
「新たな歩みを作り出す約束の地へ、いざ出発!」
高揚した思いを携え、前途洋々、意気揚々と旅立つイスラエル。
「昼は雲の柱、夜は火の柱」が彼らと共に進んだと記される。これは神の臨在を表わしている。
シナイ山からカナンの入口であるカデシュ・バルネアの地まで、
直線距離にして約300㎞、歩いて11日の道のりであったと記される(申命記1:2)。

ところがこの2週間足らずの道のりを、この後イスラエルは何と40年にわたってさすらうこととなる。
なぜなのか、何があったのか。
それはまたこれから少しずつ辿っていくが、ひと言で言えば、
救われたイスラエルの民は、必ずしも神のみこころにかなう人ばかりではなかった、ということだ。

それは「恥の記録」である。この記録を残すことは「自虐史観」である。
しかしその恥の歴史を隠さず記すところに、聖書の真実がある。
聖書とは、人間が罪ある存在であるにもかかわらず、
神がこれを見捨てず関わりを持ち続けて下さったことの記録なのである。




『 帰る場所があるんだよ 』  ヨハネによる福音書14:1-14(9月11日)

人間は死を意識する唯一の生き物である。だから人間は葬儀を営む。
葬儀の方法は民族・文化によって様々であるが、葬儀を営まない人類は存在しない。
人間の定義とは何か。
いろいろあるが確かな定義のひとつは「葬儀を行なう類人猿」であろう。

人間が死を意識する中から生まれたもう一つの営み、それが宗教である。
自分のいのちはどこから来て、自分が死んだ後どこへ行くのか?
そんな興味・関心や不安・恐れを抱く中で、いつしか人は祈りをささげ、
自分たちの存在を超えた「大いなるもの」について思いを巡らすようになった。

「自分はいつか死ぬ」。
小学校3~4年生のころそんなことを意識し始め、不安を抱いて夜眠るのが恐かった。
中学生になってある本に記された文章に出会った。
「宗教とは、人間の死の不安に対する答えとして生まれたのではないか」という言葉に納得した。
「そうか。恐いのは自分だけではなかったんや!」。
いつの時代も、人は「自分が無になってしまうことへの空しさ」をかかえて生きてきたことを知ったのだ。

「私は間もなくあなたがたの元を去る」。
これまで何度も繰り返されたイエスの言葉である。
不安を感じる弟子たちにイエスは言われる。
「心を騒がせるな。私の父の家に、あなたがたのために場所を用意しに行くのだ」。
これから起こる十字架の出来事、その受難の衝撃。
しかしそれは惨たらしい犠牲や屈辱的な敗北ではない。
それは人々と父(神)とをつなぐために必要な出来事ということだ。

「あなたには帰る場所があるんだよ」。
イエスはそう語られる。信じる者には心の支えとなる言葉である。

昨年、増築記念の講演をして下さった釈徹宗さん(本願寺派僧侶)は、
「宗教にとって最後に語るべき言葉は『おかえり』ではないか」と言われた。
この世界をたったひとりで、自分の力だけで生きていかねばならないのだとしたら、
それはけっこう辛いことだ。
しかし私たちには「おかえり」と言ってくれる存在がある。
そう信じるとき、安らぎが生まれる。




『 すべての人よ、主を賛美せよ 』        詩編117編(9月18日)

今日の第3礼拝(音楽礼拝)で歌ったうたは、新しい賛美歌集『トゥマ・ミナ2』と、
CD『だから今日、希望がある(南米の新しい賛美歌)』の中から選曲した。
歌った曲は、それぞれアジア、アフリカ、南米、北中米、そしてヨーロッパのものである。
オセアニアを除きすべての大陸の音楽による、民衆の文化に基づく賛美歌である。

20世紀の後半に入り、教会の自己変革の動きに合わせて、
ヒム・エクスプロージョン(賛美歌大爆発)という出来事が世界の教会で同時多発的に起こった。
それまでのグレゴリオ聖歌や、16-18世紀に作られたいわゆる「賛美歌調」の歌ではない、
新しい創作賛美歌の潮流が急激に生まれたのである。
それは単なる音楽的な変革だけでなく、教会のミッション・宣教理解の変化に伴うものであった。
教会が魂の慰めを語るだけの場所から、平和・人権・環境問題など、
社会的な変革のメッセージを届ける集まりへと変革を遂げてきた歩みと連動している。

かつて中世の教会では、教会の礼拝において
ひとつの言語(ラテン語)しか使うことを許されなかった時代があった。
そこでは賛美歌もおのずと、訓練を受けた専門家たち(聖歌隊)が歌うのみで、
信徒はただそれを聴くだけであったという。
このような特権的な教会のあり方に対して抵抗(プロテスト)したのが、宗教改革者たち。
プロテスタント教会の始まりである。

宗教改革者ルターが、具体的な改革運動として最初に手がけたのは、聖書の翻訳であった。
聖書の言葉を、聖職者の独占状態から庶民の言葉へと取り戻していったのである。
そして同時に行なったのが賛美歌の作成だった。
民衆の間の流行歌を替え歌にして賛美歌にしたものが多く残されているそうだ。

かつて中世の教会で、今日の詩編の「すべての民よ、主を賛美せよ」という言葉は、
すべての民が「一つの言語で、一種類の音楽で」賛美すること、即ち単一指向であった。
しかし今世界には、それぞれの国の言葉で、それぞれの民族の音楽で主を賛美する、
そんな多様性に開かれた教会の姿がある。

私たちの国でも、「賛美歌とはこういうものでなければならない」という思い込みから解放され、
借り物でない自分たちの言葉・音楽で、主を賛美する新しい歌が生まれてもよいのではないか。

 ♪ ハレルヤ! 
   ほめたたえよう 主は羊飼い
   われらはたよる 主に感謝せよ
 
   ハレルヤ!
   ほめたたえよう 主は救い主
   われらはうたう 主に栄光あれ

   (河瀬はる作詞 「会津磐梯山」のふしで)




『 信じる者、信じない者 』  ヨハネによる福音書14:15-31(9月25日)

ひとりで旅をする者にとって、同伴者の存在は大変心強く頼れるものである。
「わたしは父にお願いして、弁護者を遣わして下さるようにしよう」。
今日の箇所でイエスが語られる言葉であるが、
「弁護者」という言葉は言語では「パラクレートス」、
かつての口語訳聖書では「助け主」と訳されていた。

「パラクレートス」とは「傍らに(パラ)」「呼ばれた者(クレートス)」という意味である。
ギリシャの裁判で、弁護のために傍らに呼ばれた人のことを指すらしい。
しかし、「弁護者」よりも「助け主」よりもふさわしい訳語があると思う。
それは「同伴者」である。

「この方(パラクレートス)こそ、真理の霊である」とも言われている。
イエスが天に帰られた後、リーダー不在の情況の弟子たちと共に歩んで下さる同伴者。
それが聖霊の導きということだ。

しかしこの同伴者を「見ようとも知ろうともしない人」もいる。
「世は私を見なくなるが、あなたがたは私を見る」
「私を愛する人は私の言葉を守る。私を愛さない者は私の言葉を守らない」。
ヨハネお得意の二元論である。
一方に信じる人がおり、一方には信じない人がいる。どうするのか。

ここで純粋で熱心な信仰者が陥る落とし穴がある。
「神は信じる者に恵みを、信じない者には罰を与えられる」。
気持ちは分かるが、罰をちらつかせて信じさせるならば、
それはもはや福音とは言えないだろう。

では、どうなるのか。
別にどうにもならない。
「同伴者など必要ない。死んで無になって、それで構わない」という人は、
無理に信じなくてもいいのではないか。

「それでは信じる意味がないではないか!」と言われると、それは違う。
信じる者と信じない者で、即座に奇跡的に何かが変わるということはないだろう。
しかし長い人生の中で、やはり何かが変わってゆくに違いない。

「信じる」ということは、跳躍であり、決断であり、賭けである。
その賭けに臨む者に、「同伴者」は心強い確かさを与えてくれるであろう。




『 世界に広がるぶどうの枝 』  ヨハネによる福音書15:1-10(10月2日)

会津の教会にいた頃、毎年ぶどう園で野外礼拝を行なっていた。
芋煮を食べ、ぶどう狩りを楽しむ秋の行事だが、
広大なぶどう棚の下で「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝」という聖句を学んだ。
ぶどうの幹から枝が分かれ実を付けている様は、イエスと弟子たちとのつながりを象徴するものである。

しかしこの箇所にはそんな牧歌的なつながりだけが記されているのではない。
「実を結ばない枝は、父が取り除かれる」(2節)
「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。
そして火に投げ入れられて焼かれてしまう」(6節)といった、
恐ろしいイメージの言葉も併せて語られる。

『死後さばきにあう/聖書』といった看板のイヤ~な感じを彷彿させる言葉である。
けれども、実際にぶどうを育てる過程では、
虫にやられた枝は他の枝や実を守るために切り捨てられることがある。
「いい・悪い」はともかくとして、イエスはこの事実を知っていたのかもしれない。

今日は世界聖餐日。
イエス・キリストというぶどうの枝は、今や世界の隅々にまで広まり実を結んでいる。
その過程でキリスト教はいいことばかりをしてきた訳ではない。様々な罪も犯してきた。
しかし結果として今20億人もの人が、イエスを信じる信仰に帰依している。
「ぶどうの木」のたとえが、現実のものとなったのである。

けれども、ヨハネがこの聖句を記した時、
まだキリスト教はパレスチナの片隅の小さな新興宗教に過ぎなかった。
「大きく広がる枝」という言葉で彼がイメージしたものは、
結果として大宗教となるキリスト教の未来を予言するものではなく、
たとえどんなに遠くに離れていても、イエス・キリストにつながっていること、
その確かさを表わそうとしたのではないだろうか。




『 欲求と欲望のはざま 』        民衆記11:1-6(10月9日)

子どもの頃、教会の愛餐会のカレーが余って、わが家の食卓に何日もカレーが続いたことがあった。
「またカレー!?」と不満をもらしたことを記憶している。
同じ味、同じ内容のメニューを、私たちは何日くらいまで我慢することができるだろうか。

人間には「欲求」というものがある。腹が減れば食べ、眠くなれば寝る。
そのような生理的な欲求は、不足の時は大きな不安・ストレスになるが、
一旦満たされると一定期間は消えてなくなる。
欲求の不足と充足のくりかえし。それは人間に限らず、自然界のいのちのバランスである。

一方、人間には「欲望」というものがある。
欲求が肉体の事柄であるのに対して、欲望は脳の中の出来事と言える。
そして欲求には限りがあるのに対して、欲望には自分で線を引かない限り、限度がない。

欲望のすべてを否定することはないだろう。
少しいい物を食べたい。いい服を着たい。いい家に住みたい。
そのような願いを持って生きることが、生きる意欲を生み出すこともある。
しかし「欲望には際限がない」、そのことはわきまえておく必要がある。
なぜならば膨れあがる人間の欲望は自然界のバランスの外にあり、
気をつけなければそれは破滅をもたらしかねないからだ。

出エジプトの民が自由への旅を続けた間、民が抱く「不足への不平・不満」に対して、
神はさまざまな奇跡をもって応えられた。
ノドの渇きには岩からほとばしり出る水、空腹にはマナ・うずら、力の不足には「海の奇跡」。
人々の欲求を満たして下さる神の助けが物語られる。

しかしここに来て民は、新たな不平を口にする。
「あぁ、肉や魚やたまねぎが食べたい。しかし私たちにはこのマナしかない」。
これは欲求ではなく欲望による不満である。
この不満に神はどう応えられたか。
驚くことに「飽きるほど、吐き気をもよおすほど肉を食べさせる」という形で報いられたのである。
欲望は満たされた。しかしそれは人々にとって、必ずしも幸せなことではなかった。

現代は「欲求」ではなく「欲望」によって動いている世界だと言える。
その中で私たちは「便利な生活」を得た。
しかしその便利な生活をもたらしてくれた巨大技術(原発等)のひずみによって、
今私たち自身の生きる営みが大きな危機に直面させられている現実がある。
欲望が満たされたこと、それが本当に幸せなことだったのか。
いまそれが問われている。




『 互いに愛し合いなさい 』  ヨハネによる福音書15:11-13(10月16日)

もし私たちが天に召される前に、親しい人に「遺言」を残す機会があるならば、
いったいどんな言葉を語るだろうか。
そこではその人が人生において大切にしていたことが凝縮して表わされることだろう。
今日の箇所は、イエスが十字架の苦難を前にして、弟子たちに語り伝えた言葉、
その中でも最も核心の部分、言わばイエスの「遺言」にあたる箇所である。

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」。
互いに愛し合うことの大切さ。それはイエスがこれまで語り続けてこられたことである。
私たちは「なるほどそうだ」と受けとめ、納得をする。
しかしイエスはそれにさらにもう一歩踏み込んで語る。
「友のために自分の命を捨てること。これ以上に大きな愛はない」。

この教えも、言葉の上でならば納得して受け止められるだろう。
自分の命を投げ打ってでも誰かを助けようとすること。それよりも大きな愛はない...。
「その通り!」である。
『塩狩峠』の永野青年や、洞爺丸のストーン、リーパー両宣教師、
アウシュヴィッツのコルベ神父の物語に、私たちは感動もする。

しかし「それが大切だ」と受けとめることと、
実際そう行動できるかということとの間には、千里の径庭が広がる。
「聖書のイエスの教えのように、あなたは大切な友のために命を捨てられますか?」と問われて、
即座に「はい!できます!」と答えられる人がどれだけいるだろうか。
「そのときになってみなければ分からない...」そう答えるのが精一杯ではないだろうか。

ここで「あぁ、それはね、イエス様だからできたことだよ。神の子だから。
でも私たちにはとてもムリムリ...」そう言い切ってしまったら、
私たちの霊的な成長も終わってしまうだろう。
命まで捨てられなくても、自分の時間を差し出したり、力や財をささげることは、
私たちの心づもりひとつでできることだ。
ところが霊的成長を遂げていないと、それすらもできなくなってしまうものなのだ。

私たちはイエスのように「命を捨てる愛」には生きられないかも知れない。
しかしアスナロがヒノキになれなくても「あすなろう」と目指して生きるように、
私たちも実際にはイエスのようになれなくても、
「なろう」と思い、小さな成長を続けることが大切ではないか。




『 選ばれた者 』  ヨハネによる福音書15:14-17(10月23日)

港町・神戸は教会の多い街である。私たちの地域の周りにはいくつもの教会が存在している。
そんな中、それぞれに教会を選んで自分の教会に通っている。
あるいはまた、日本社会において教会に通う人の多くは、
たくさんある宗教の中からキリスト教を選んで集まっている人々とも言える。

しかし、今日の聖書の箇所でイエスは正反対のことを言われる。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」。

人が誰かの弟子になるという場合、そこにはどんなにつたなくても弟子の側の「選び」があると普通は考える。
出会いがあり、自らの不足を感じ、「この人について行こう」と決断する。
それが誰かの弟子になるという出来事である。

しかし師弟関係においてはしばしばそれとは反対の心理が生じることがある。
「自分で選んだのではなく、選ぶよう導かれていた。選ばさせていただいた。」
こういう感覚は、信仰の世界においても起こり得るものだ。

自分の側に選択の主権があり、自由意志で選んで行動している...私たちは普段そんな意識で生きている。
しかし自分の自由意志が何よりも先にあるのではなく、そうなるよう導いてくださる神の導きがある...
そんな風に意識をひっくり返してみることが語られている。

「神の選び」を突き詰めた神学者のひとりに、宗教改革者のカルヴァンがいる。
「神の選びは既に定められていて人間の努力で変えることはできない」、それがカルヴァンの予定説だ。
私は若い頃、この予定説の教えを聞いて「何とも窮屈な考え方やな...」と感じていた。
彼は「自分が神に選ばれていると信じて、それにふさわしい生き方をしなさい」と教えたのだが、
どうして「自分は滅びに定められている」と思うことによって、
悪い怠惰な生き方をする人が出る可能性は吟味しなかったのか、不思議に思ったものだ。

しかし今は「私が神を選んだのではなく、神が私を選んで下さった」という受けとめ方については、
信仰のひとつの到達点として、大切なことを指し示しているのかも知れないと思うようになった。
なぜならば、信仰とは「自分が生きている」という事実を
「生かされている」と受けとめる営みのことに他ならないと信じるからだ。

ただ、「自分は選ばれている」というその意識が、
高慢な優越感につながるのだとすれば、それはイエスの望まれることではないだろう。
そうではなく「互いに愛し合いなさい」という教えを実現するために選ばれた。
そう受けとめる信仰こそが大切なのではないだろうか。

しかもその選びはもはや「師」としての高みからの選びではない。
「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」(15:15)
わたしたちは友であるイエス・キリストから、隣人に仕えるために選ばれた者である。
そんな思いを持ちながら、それぞれの信仰生活を歩みたい。




『 世があなたがたを憎んでも 』  ヨハネによる福音書15:18-16:4a(10月30日)

社会の不正を告発し、正義や真実を求めた人が、
かえってその社会から疎まれ、迫害を受ける...。
そのようなことは歴史の中でしばしば起こってきた。

明日(10月31日)は「宗教改革記念日」であるが、
中世カトリック教会の腐敗を糺そうとしたルターの改革は、当時は命がけの行為であった。

そのルターの名前を20世紀に受け継いだキング牧師は、
黒人差別撤廃のために生涯をささげ、凶弾に倒れた。

後の時代から見て正しいことを叫んだ人が、
必ずしもその時代においては歓迎された訳ではない。
むしろ「世の秩序を乱す輩」として、茨の道を歩まざるを得ないところへ追いやられる...。
そんな例は枚挙にいとまがない。
けれどもそれでもその道を歩んだ人々によって、
私たちの生きる社会は暮らしやすいものになっている。
そのことを憶え、感謝するものでありたい。

「世があなたがたを憎んでも、あなたがたより先に私を憎んだことを覚えなさい」。
イエスはそう語られた。
この言葉が記された背景には、ヨハネ共同体の人々が、
ユダヤ人社会の中で迫害を受けていた情況が反映されている。
イエスをメシヤ(救い主)と信じていた人々は、
まさにそのことを理由に会堂から追放されていたのだ。

イエス・キリストを信じる人々にとって、
その信仰故にユダヤ人から憎まれることは理不尽なことである。
しかし正しさを求める人は、しばしば理不尽な仕打ちを受けることもある...
そんな時こそイエスの十字架を想い起こし、
大切なものを手放さずに生きることの大切さを示している。

朝日新聞に連載中の『プロメテウスの罠』という特集記事では、
福島の原発事故直後の対応、特に正確なデータの公表を巡って、
さまざまな圧力や情報統制が行なわれていたことが検証されている。
「原子力村」と呼ばれる業界では、原発の安全性に疑問を持ったり、
原発行政そのものに批判的な学者は冷や飯を食わされるそうだ。

そんな中で起こった今回の原発事故とそれによる放射能漏れ。
都合の悪いデータを公表せずに隠そうとする行政に対して、
独自に調査に立ち上がり、データ分析を続けた人がいる。
木村真一さん。厚生労働省傘下の研究所で放射線衛生学を専門とする人だ。

事故直後、「勝手に現地に入るな」という一斉メールが研究所から出された。
これは不利なデータを隠蔽しようとする画策だと直感した木村さんは、
研究所に辞表を出して、現地に向かわれた。
40歳になってやっとつかんだ正職員のイス。それを棒に振ることになる。
しかし「今行動しなければ、死ぬまで後悔する」そう思い、決断をされたという。

表面上の安定を求める行政側にとって、木村さんのような人はやっかいな存在である。
しかし誰が見ても危険なものを公表しないことが、現地の人のためになるわけがない...
そんな信念が木村さんを突き動かしたのだろう。

アンデルセンの童話「はだかの王さま」では、
大人たちはみんな王さまは裸だと知っていたのに、
王の権力による圧力を恐れて真実を語らなかった。
しかし子どもは真実を見抜き、そしてそれを指摘した。
木村さんは「こどもの立場」に立って考え、行動された。
私たちはいったいどちらの立場に立てるのだろうか。

安定を求め混乱を避けるために、真実にフタをする気持ちは誰にでもあるだろう。
しかしそんな時こそ、今日のイエスの言葉を想い起こしたい。
「世があなたがたを憎んでも、あなたがたより先に私を憎んだことを覚えなさい」。
そしてこの言葉通りに十字架への道を歩まれたイエスに従い、
私たちもまた、世の救いのために生きることのできる者でありたい。




『 あのささやかな人生を 』    詩編90編(11月6日・召天者記念礼拝)

私たちには必ずいのちの終わりがやって来る。どんな人にも必ず死は訪れる。
その意味で死は平等であり、人間の死亡率は100%である。
しかしそのことよりも確かなこと、確かな肌触りをもって確認できることがある。
それは私たちがいま「生きている」ということである。

そしてその人生の歩みにはそれぞれの彩りがある。
「死」においては「みんないっしょ」だが、「いのち」においては「みんなちがう」。
ひとりの人間の人生には、他の何ものにも代え難い固有の物語がある。
人類の歴史を遡ってもどこにも同じ物語は存在しないのである。

今日は召天者記念礼拝の日である。
私たちがこのようにして死者を追悼するということの意味はどこにあるのだろうか?
今日は二つのことを特に考えてみたい。

追悼することの意味、そのひとつ目は、亡くなられた人への思いすべてを、
大いなる存在である神さまに委ねる、ということである。
私たちの目から見れば長いように見える一人の人生の旅路も、
神さまの目から見ればほんの一瞬の出来事かも知れない。
詩編90編の前半は、そのような人間の「ちっぽけさ」に関する述懐である。

そんな風に自分の存在の「ちっぽけさ」を知り、大きな存在に身を委ねる。
それが「追悼」ということのひとつの意味合いであろう。

もうひとつのこと。
それは、私たちの人生は一瞬のささやかなものだけれども、
けれども同時にそこには他の何ものにも代え難い固有の物語があり、人生の意味がある。
そのことを憶えて、その固有の物語を語り継ぐということである。
詩編の言葉も後半は「小さな人生の意味を確かなものとして下さい」の懇願に変わる。

ささやかでもひたむきに、精一杯生きた人生には、かけがえのない意味がある。
2000年前のガリラヤで、貧しい人・打ちひしがれた人を訪ね、
神の愛を説いたイエス・キリストは、そんなことを教えてくれたのではないだろうか。

私たちもまた、自分の出会ったささやかな人生、その物語に刻まれた大切な意味を、
ていねいに、誠実に語り継いでゆくものでありたい。
そして自分自身もまた、そんなささやかな人生を、感謝をもって歩む者でありたい。

 ♪ 君を映す鏡の中、君を褒める歌はなくても
   ぼくは褒める、君の知らぬ、君についていくつでも
   あのささやかな人生を、良くは言わぬ人もあるだろう
   あのささやかな人生を、ムダとなじる人もあるだろう
   でも、ぼくは褒める
   君の知らぬ、君についていくつでも

    (『瞬きもせず』中島みゆき)




『 ひとり歩む者の友 』  ヨハネによる福音書16:4b-15(11月13日)

携帯電話の普及によって、人と人の「つながり度」は飛躍的に増えた。
しかし一方で、いつもつながりが確認できるツールを失うと、
途端に不安になる人も増えたような気がする。
「携帯に依存している」...というより、
「携帯が保障してくれる人とのつながりに依存している」とでも言えようか。

人とのつながりは大切だが、そのつながりに依存するということになると、
これは少し困ったことになる。
私たちの人生には、自分一人で考え、決断し、
自分一人でその道を進まなければならない局面が必ず訪れるからだ。

「初めにこれらのことを言わなかったのは、
 わたしがあなたがたと一緒にいたからである」(4節b)とイエスは言われる。
弟子たちはそのイエスにただついて行けばよかった。
イエスに任せ、判断を委ね、命じられるままに動いていればとりあえず進んで行けた。
しかしそのイエスが、今まさに「神のもと」に帰ろうとしている。
弟子たちは間もなく大切な師を失うのである。

ところがイエスは続けてこう言われる。
「わたしが去っていくのは、あなたがたのためになる。
 わたしが去らなければ『弁護者』はあなたがたのところに来ないからである」(7節)。
『弁護者』とは聖霊の導きのことである。
弟子たちがもはやイエスに頼らず、依存せず、
聖霊の導きを受けて自分で道を選んで生きる。
そのことが彼らの成熟・成長につながることは「あなたがたのためになる」。

それはもはやイエス不在の歩みなのだろうか。そうではない。
聖霊の導きはイエスの教えた真理を「ことごとく悟らせてくれる」(13節)。
それはイエスの身体は見えないけれどイエスと共なる歩み、
イエスに依存しないけれどイエスに導かれる歩みなのである。

「犀の角のごとく、ただひとり歩め」と教えたのは仏陀である。
誰にも依存せず、己の執着も捨て、独立独歩を教えた、厳しく、崇高な言葉である。
今日のイエスの言葉にも同じような響きを感じる。
しかしそこには同時にあたたかさも感じる。
イエスの言葉には、ひとり歩む者の友、聖霊の導きが約束されているからである。




『“までい”の力 』    マルコによる福音書4:26-29(11月20日)

イエスさまは言われました。
「神の国は、人が土に種をまいて作物を育てるようなものである」。
何だかわけがわかりませんね。もう少し考えてみましょう。

お百姓さんが土を耕し、種をまき、水をやり、草を抜いて作物を育てます。
作物は少しずつ、ゆっくりと育っていきます。
「となりのトトロ」では、どんぐりがあっという間に大きな木になりましたが、
実際にはあんなことはおこりません。作物は少しずつ、ゆっくりと育つのです。

「神の国」とは「みんなが幸せになれる国・みんなが笑顔になれる国」のことです。
その神の国は「少しずつ、ゆっくりやってくるんだよ」ということです。
いっぺんにお金の力で作られるのではない。
ものすごいエネルギーを使って作られるのでもない。
神さまを信じる人の手を通して、少しずつゆっくり作られてゆくんだよ...
それがイエスさまの教えなのです。

今年も斎藤仁一さん(福島県会津地方山都町在住)のお米を送ってもらいました。
農薬や化学肥料を使わない、無農薬・有機栽培のお米です。
農薬を使えば楽ができます。化学肥料を使えばたくさん収穫できます。
でも斎藤さんはそれらを使いません。
「人間が食べるものはできるだけ安全なものがいい」そう考えておられるからです。
手間のかかるやり方で、安全なお米を「少しずつ、ゆっくり」作って下さっているのです。

福島県飯舘村は「までいの里」として有名です。
「までい」とは「ゆっくり、ていねいに」という飯舘村の方言です。
「スローライフ」。
大量生産大量消費ではない、人と人の顔が見える暮らし方を目指し、
緑豊かな世界に誇れる村作りをしていこう...
そんな願いの込められた言葉が「までい」です。

ところが東日本大震災直後に起こった原発事故で、
飯舘村の人々は避難を余儀なくされてしまいました。
大量生産大量消費の象徴のような原発が、
美しい「までいの里」をメチャメチャにしてしまったのです。
飯舘村の人が原発を必要としていたのでしょうか?
そうではありません。必要としていたのは東京など都会の人たちです。
「もっと早く、もっとたくさん、もっと便利に...」
そんな欲張りな心が原発を必要としているのです。

私たちの住む関西でも同じことが言えます。
京都・大阪・神戸などの電気を作るために、
福井県に15基もの原発が建てられています。
スイッチ一つで何でもできる...楽ちんで早くて便利な生活がイチバン!...
そんな暮らしを続けていくと、もしもの時には大変なことになってしまいます。
でも、もしみんなが「までい」に生きることを大切にできれば、
原子力発電所は必要なくなることでしょう。

イエスさまは「神の国は“までい”の力でやってくる」と言われたのだと思います。
「までいの力」を信じましょう。

  ♪までい
  
  ゆっくりていねいに あせらずじっくりと
  までいに までいに までいにゆこう
  お金のことよりも こころを大切に
  までいに までいに までいにゆこう
  
  風を感じて お日さまをあびて
  大地踏みしめ 汗を流して
  までいに までいに までいにゆこう
 
(収穫感謝礼拝)




『 生き残った者の責務 』  創世記8:13-9:1(11月27日)

東日本大震災が襲った今年、迎えるアドヴェントは、旧約聖書の中から、
特に家を離れて旅を続ける中で神の救いを願い求めた人々の姿をたどりたい。

今日の箇所は有名なノアの箱舟の物語である。
主なる神は、人間があまりにも悪をはたらくのを見て、
これを作ったことを後悔し、洪水によって滅ぼそうとされた。
しかしノアとその家族だけは守るために、箱舟建造を命じられた。
信仰深いノアはこの言葉に従い、動物たちと共に命を救われた...。
よく知られたストーリーである。

箱舟は、神の救いを語り伝える教会を象徴するものとされ、
箱舟をかたどった礼拝堂も数多く建設されている。
「神の言葉を信じて従う者は救いを得るが、信じない者は滅びにいたる。」
そんなメッセージと共に語られる物語であり、素朴な信仰の世界を表わすものである。

しかし3月11日以降、そのようなシンプルで素朴な解釈には
わたしたちはもはや堪えられなくなってしまった。
地震や津波による災害が、いかに理不尽で受け入れがたく、
非常なものであるかを知らされたからだ。
津波で助かった人と助からなかった人との間に、何の違いがあるのか。
「正しい人は救われ、悪しき人は滅びる」という定型の解釈は、慎まなければならない。

この物語を別の視点で読むことをしてみたい。
洪水の水が引いた後、再び大地に降り立ったノアは、
そこでいったいどんな思いを抱いたのだろうか、ということだ。
「救われたことへの喜び」だけではなかっただろう。
むしろ「自分だけが生き残った疚しさ」が強かったのではないか。
「サバイバーズ・ギルト=生存者の罪責感」と呼ばれる心理である。

このような心境でたたずむ人に対して、周りの人間にできることは多くはない。
励ましや理由付はかえって心の傷を深めるかも知れない。
時間が心を癒してくれることを願って、ただ話を聴き祈るしかないだろう。

聖書ではそんなノアに神が語りかけられる。
「もうこのようなことは二度としない。だからあなたは生めよ、増えよ、地に満ちよ」。
その祝福のしるしとして空に虹がかかったことが記される。
ノアの箱舟の物語は、この虹の記述までを含めて読まなければならないと思う。

空にかかる虹を見上げたとき、人間の心が感じる一瞬のときめき。
やがて虹は消えてしまうが、ときめきを感じた心はいつまでも残る。
それがいつの日か明日に向かう人の希望となり、
未来の世界を形作る働きにつながることを信じたい。



『 あなた自身に向かって歩め 』   創世記12:1-4(12月4日)

イスラエルの父祖・アブラハムの召命の物語である。
「あなたは生まれ故郷、父の家を離れ、わたしが示す地へ行きなさい」
という神の言葉を聞いて、アブラハムはこれに従い旅立った。
アブラハムを選ばれた神の導き。ここからイスラエル民族が始まった。

「わたしが示す地」ということでアブラハムが向かったのは、
カナンと呼ばれる地であった。
後年、エジプトの奴隷の苦しみから解放されたイスラエルの民が、
「約束の地、乳と蜜の流れる地」として定住へと導かれた土地である。
とすれば、出エジプトの出来事によって示された神の救いは、
「ふるさと」への帰還の物語と見ることもできる。
いま私たちの国が遭遇している出来事、震災や原発事故により
ふるさとを離れて過ごさざるを得ない人のことを重ねながら、
ふるさとへの回帰が一日も早く果たされることを願う。

しかし、アブラハムの召命物語には、
簡単に飲み込むことのできない言葉も記されている。
「生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地へ」という部分だが、
原典のヘブル語聖書では「レフ・レハー」という言葉が記されている。
直訳すれば「あなた自身に向かって歩め」という意味である。

「生まれ故郷、父の家」とは、安定した場所・安住の地とも言える。
するとこの箇所は「あなたは安住の地にしがみつかず、
そこから一歩踏み出し、あなた自身に向かって歩みなさい」
そういう意味にも取ることができる。

アブラハムの住んでいたウルという街は、繁栄した裕福な街だったという。
「その豊かな住み慣れた安定した場所に閉じこもっている限り、
 あなたはあなた自身になれない」。そういうことなのかも知れない。

定住の安定に比べて、旅は不安定な生活を意味する。
しかしそれでもその道を進み、
自らを開こうとする人に与えられるものがある。
それは「出会い」である。
多くの出会いを持つ人こそ、成熟へと導かれ、
「自分自身」になれる道を備えられるのかも知れない。

イエス・キリストもまた旅する人であった。
一箇所に留まる安定ではなく、旅を続ける不安定を選ばれた。
なぜか?
それはそこに様々な人々との出会いが待っていたからである。




『 望みを後に託して 』    申命記31:1-8(12月11日)

エジプトの奴隷の苦しみからイスラエルの民を救い、
約束の地・カナンへの旅を続けたモーセの物語である。
度重なるピンチの際にも神の助けを受けて、数々の奇跡を行ないその危機を乗り越えてきた。
シナイ山で彼が授かった十戒は、契約の民・イスラエルのアイデンティティとなった。

決して順良とは言えないイスラエルの民を、時には励まし時には叱り、
それでも諦めずに40年もの間旅を続けたモーセ。
しかしその旅の最後に神がモーセに告げられた言葉は、とても酷なものだった。
モーセ自身は人々と一緒に約束の地に入ることが許されないというのである。

いったいなぜ?と私たちは神のみこころを疑う。
その理由は、かつてモーセが一度だけ、神の命令に背いたことがあるからだという。
民数記20章に記された『メリバの水』という出来事がそれである。

荒野を旅する民は、ある日水が飲めないことをモーセに文句を言う。
モーセが神のみこころを尋ねると、
「岩に向かって杖を差し伸べ、『水を出せ』と命じなさい」との答えがあった。
モーセはその通り行なったが、神の言葉にないことをしてしまった。
「水を出せ」と命じるだけでよかったのに、岩を二度杖で打ってしまったのだ。

これが「モーセの背き」なのだと記されている。
「たったそれだけ?」と私たちは思う。
たったそれだけのことで、約束の地に入ることが許されない。
「それではモーセが気の毒だ。あまりにも理不尽だ」と。
しかしそんな私たちには計り知れない神のみこころを、モーセは粛々と受け入れていく。

今日の箇所はモーセが後継者ヨシュアを立て、自分の役割を託していく場面である。
約束の地に入れないことは、モーセにとって残念なことであっただろう。
しかし神の救いの働きの一端にでも関われた充実感も
同時に彼を包んでいたのではないだろうか。

クリスマスによって与えられると約束された、イエス・キリストによる救い。
その完全な姿を私たちもまた見定めることはできないのかも知れない。
しかしそんな理不尽にも思える現実の中を、
それでも望みを後に託して歩む信仰があることを、
モーセの最期の姿は教えてくれる。

自分の望みを自分の目で確かめられないことは残念なことだ。
しかし望みを後に託す心があれば、そこにもなお希望はあると信じたい。




『 苦難の僕が導く救い 』    イザヤ書53章(12月18日)

ユダヤ人にとって、最大の信仰の危機と呼ばれた「バビロン捕囚」という出来事がある。
新興国バビロニアに滅ぼされたユダ王国。王や若者たちは殺され、
国の指導者たちは拉致監禁されて、首都バビロンへと連れ去られてしまった。
イスラエルは民族絶滅の危機を迎える。

しかしユダヤ人たちはこの出来事を、自らの不信仰が招いたものと受けとめ、
祈りつつ信仰生活をもう一度見つめ直す機会としていった。
旧約聖書の多くの部分は、この捕囚期に編集がまとめられたものだという。
いわば最大のピンチの時を、逆に成長・成熟への足がかりとしていったのである。
イザヤはそんな時期に活動した預言者である。

捕囚という、言わば強いられた旅のさ中、
絶望に心を蝕まれそうになるイスラエルの民に、イザヤは呼びかける。
「決してあきらめるな。神はきっと我々を救い出して下さる。
 間もなく神さまからつかわされた救い主=キリストがやって来る!」。その救い主がイスラエルを捕囚の苦しみから解放して下さるのだ、と。

当初、イザヤはある人物に期待する。
それは新しく興ったペルシャの王・キュロスという人物である。
実際にキュロスはバビロニアを打ち倒してユダヤ人を捕囚から解放し、
エルサレムに帰ると神殿の建設などを許したと記される。
いわばユダヤ人にとって一番大切な「信教の自由」が保障されたのである。

しかし、いつしかイザヤの思いはキュロスから離れてゆく。
「彼もまた、待ち望んでいた救い主ではないかも知れない」と。
なぜなのか?
イスラエルにとっては恩人であっても、やはりキュロスもひとりの軍人であり、
力に対する依存心が強かったからかも知れない。
力に頼る改革は、必ず弱い人々の存在を疎外してゆく。
そこのイザヤの失望がある。

そうしてイザヤがたどり着いた本当の救い主の姿。
それは自らの身に苦しみを背負うことによって、
人々に救いを与える“苦難の僕”のイメージであった。

力で人々を制して解決を図るのではなく、人と人の間に立って、
自らが傷み・苦しみを身に負うことによって道を開こうとする僕。
「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことのない」働き。
イザヤの語るその預言が成就したものこそ、
十字架への道を歩むイエス・キリストの姿である。




『 救い主は客間の外に生まれた 』    ルカによる福音書2:1-7(12月25日)

「救い主は客間の外に生まれた」と聖書は記している。
皇帝の勅令に従い、人口調査の登録をするための旅の途中、
マリアは月が満ちて幼子を生み、その幼子を飼い葉桶に寝かせた。
「客間には彼らのいる余地がなかったからである」(口語訳聖書)。

王宮の豪華な客室ではなく、住み慣れた自分の家でもない。
旅先で、それだけでも不安なのに生まれた場所も宿屋の客間ではない場所。
現代に生きる私たちにとって、
おおよそ子どもを出産するにはふさわしくないように思える場所で、
救い主はお生まれになったというのだ。

私たちはこの出来事を、長く「キリストは誰にも知られずひっそりと、
寂しい離れの馬小屋で生まれた」と受けとめてきた。
ところが最近出た本によると、パレスチナの民家には家畜小屋というのは特になくて、
家畜は家の土間のようなところにつながれていたそうだ。(『中東文化の目で見たイエス』)

それは確かに客間ではないが、家族の暮らす空間、
お茶の間やリビングルームのようなところだったのかも知れない。

もちろんそうであったとしても、マリアにとっては旅の途中であり、
それなりの不安や大変さはあったことだろう。
しかし幼子が誕生し産声を上げたその瞬間には、
彼ら夫婦を受け入れた家族の人も含めた喜びの声があったのではないか。

生まれてくる赤ちゃんは自分の生まれる場所を選べない。
しかし、それがどんな場所でも、時が来れば赤ちゃんは生まれてくる。
そしてそれがどんな場所であったとしても、
「子どもが生まれる」というその出来事には、本来祝福と喜びが伴うのであり、
そしてその産声には、未来の希望を照らす明るさが与えられているのではないか。

3月11日、東日本大震災の日にも生まれた命がある。
あるお母さんは、余震で倒壊の恐れがあるというので、
駐車場のマイカーの中で出産したという。
新たに誕生した幼子の産声は、
地震で心を押し潰されそうになっている人に、大きな力を与えたことであろう。
いのちというものは、ただ生まれてくるそれだけで、
大きな力を周りの人々に与えてくれるのだと思う。

救い主は客間の外に生まれた。そう聖書は伝えてる。
しかしそれは喜びや祝福から引きはがされた悲しい出来事なのではなく、
たとえ客間の外であっても、いや客間の外だからこそ、
そこ与えられた大きな、そしてあたたかな喜びがあったと信じたい。

客間の外に生まれた幼子は成長し、
すべての人が与えられた命を喜べるような世界を作るために、
自分の生涯をささげられた。
クリスマスはそのことを覚える日だ。

今日もどこかで赤ん坊が生まれている。
今日もどこかで瓦礫が撤去されている。
宮城県の沿岸では、今年も牡蠣が再び育ち始めている。

神さまの声が聴こえるような気がする。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」

     (クリスマス礼拝)




 
 
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